マシン・エイジの巨大蒸気機関@昭和初期の科学図鑑

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18世紀に大量生産方式と工場生産制とを導入した合衆国の工業は急速に発展していき、明治23年(1890年)にその生産高が農業を追い抜き、大正2年(1913年)には世界の3分の1のシェアを占めるまでになったそうだ
https://americancenterjapan.com/aboutusa/profile/1936/
が、さまざまな場面に機械が採り入れられるとともに、そのイメージは明るい未来を招来するものとしてもてはやされ、やがて美術や建築デザインなどの分野にも強い影響をあたえて精密派、国際様式
https://kenchikuchishiki.jimdofree.com/2017/08/18/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB-%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E5%BB%BA%E7%AF%89%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%B7%A8%E5%8C%A0/
などを生み出すことになった。そうした時代は「機械時代——マシン・エイジ——」と呼ばれた
https://jp.techcrunch.com/2018/05/30/2018-05-27-review-cult-of-the-machine-at-the-de-young/
が、そうした流れのなかで大量の電力供給をもとめられる発電所などでは、その動力源となる機械が巨大化していった。今回は1920年代の巨大蒸気機関のようすを、昭和初期に刊行された科学図鑑にみてみることにしよう。

1枚目はキャプションにあるように当時最新式の機関室でパブコック式水管汽缶(かま)42基が整然とならんでいる。2枚目がその汽缶のひとつを部分断面図で示したもの。石炭をかたまりのまま燃焼室へほうりこむのではなく、まず右手にある乾燥室で水分をできるだけ飛ばしてから歯車で微粉炭にして送風機で汽缶内に送り、燃焼効率を高めている。3枚目はさらに改良を加えた機械で、上は循環するうちに冷めた蒸気を余熱を利用して温度を上げてから汽缶に送り込むようにしたもの、下は微粉炭燃燒による高温が耐火煉瓦を融かしかねないので、その余熱を水管加熱にまわして蒸汽にするための補助とし、エネルギーの有効活用を図ったものだそうだ。

4枚目は当時世界最大の「メトロポリタン・ヴヰカース」蒸気タービン組立工場のようす。「ラトー式衝動タービン」という型式で、手前にあるのが完成品とのこと。5枚目の発電所はキャプションに「マンチエスターのバートン發電所」とあるが、ここのことはよくわからない。イギリス第3の都市マンチェスターの古い発電所について地元の方が紹介されている動画があったが、これには出てこなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=zDQEW4PE_1s
もしかするとアメリカのニューハンプシャー州にある同名の街のことかもしれないが、こちらの発電所事情もやはりよくわからなかった。

6・7枚目のタービンは国産品で、キャプションにあるように三菱神戸造船所で組み立て中のものと、発電室に据え付けられたもの。本文には「内地製としては三菱製のものが多い。」とある。この「ユングストロム・タービン」は基礎もふくめ小型軽量ながら発電量がほかの型式に退けをとらないのだそうだ。8枚目は「ニューヨーク・エディソン會社のヘルゲート發電所」に設置された当時世界最大の蒸汽タービンで、上が高圧部を組み立てているところ、下が組み上がったものを運転試験台に載せたところだ。余談だが、この発電所は昭和11年(1936年)に停電騒ぎを起こしているそうだ。
https://books.google.co.jp/books?id=nuzQDwAAQBAJ&pg=PA61

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