商店ショウウィンドウ図案@大正後期の商店建築デザインコンペ優秀作品選集

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大正12年(1923年)9月、南関東を襲った大震災により壊滅した帝都を、単なる都市機能の復旧だけでなく、その景観をも意識した美観あふれる街として復興しよう、という機運はかなり早くから盛り上がったようで、だいぶ前に図版研架蔵資料目録の方で昭和初期の例を取り上げたことがあるが、欧米の都市で最尖端のデザインを身をもって接してきた民間人による図案集が大正の末ごろから続々と刊行された。その一方で、公の機関による商店建築のデザイン競技会が企画され、公募作品のなかから特にすぐれたものを集めた図案集も震災の翌年に出ている。これは予想を超えた人気を呼んだらしく、なんと初版が出てから半月で再版されている。今回はその図案集から「店頭計畫圖案」、つまりショウウィンドウのデザイン画をいくつかみてみることにしよう。

この本の序文によれば、その競技会は府立東京商工獎勵館が大正13年(1924年)5月1日から翌6月10日まで開催した「帝都復興建築資料展覽會」の展示品の一部として企画されたもので、「(甲)商店(住居を含む)計畫圖案」「(乙)店頭計畫圖案」の二種を募集した。いずれも幅11メートルの大通りに面した、間口10メートル奥行き25メートルの敷地に新築するものとし、甲の方は鉄筋コンクリート耐火造に限り、乙の方は任意とされていた。懸賞として最優秀賞である金賞は3名、優秀賞の銀賞は5名と設定されたが、4月25日の〆切までに寄せられた応募総数は260、半分以上は東京府内からだったが関西からのものも多く、北海道や満州から送られてきたものもあったという。乙、つまり店頭計画図案はそのうちたった32で、やはりどうせ出すなら建物全体をやりたい、と考えるデザイナが多かったようだ。委嘱された4名の専門家が審査した結果、商店建築110、店頭は18が入選となり、そのうち金賞はいずれも商店建築、銀賞はひとつを除いてやはり商店建築が受賞した。展示会場では入選作品全128点が観覧に供され好評を博したそうだ。

なお府立東京商工獎勵館は、欧州大戦後に盛んになってきた国内工業のレヴェルアップを目的に東京府と実業界とがタイアップして大正6年(1917年)から寄附を募りはじめ、同10年(1921年)にそれを資金として有楽町の東京商業會議所そばに建てられたそうだ。後には東京都へ引き継がれ、大正13年(1924年)設立の東京市電氣研究所の後身と合併して東京都立工業技術センターとなったが、これが現在の東京都立産業技術研究センターの前身のひとつとなったという。
https://tobira.hatenadiary.jp/entry/20140715/1405402793

さて前置きが長くなってしまったが、1・2枚目が店頭計画図案作品の中で唯一銀賞を勝ち取った入選作。アール・ヌーヴォー調の植物文を主体とした、現在の東京ではおよそお目にかかれないような優美なデザインで、特に照明効果を意識しているためだろう、夜景として描かれているようだ。説明文には「洋品店店頭として計畫せり」とある。金物はすべてブロンズで、青みがかった仙徳鍍金仕上げ
https://www.atomlt.com/kanamono_sc/sc03/sc03_13/
、左右の飾り窓周囲は特製タイル貼り、内部の天井部分は金属板に銀色のエナメル塗装で前面は分厚い磨き板ガラス入り、入口手前の天井は石膏色に金彩、床は人造石磨き出しで植物や小鳥の模様を描きタイルを貼りまぜるなど、あれこれ凝った仕様が指示されている。

3枚目以降は「選外」で、「MATSUYA」とロゴが掲げられているのは化粧品店、4枚目はショウケースの中にグランドピアノやギターが見えるとおり楽器店、5・6枚目の「アサヒヤ」は洋服洋品店、7枚目の「TOILET SHOP」は化粧品店で、外光が前者の立面図で庇下や張り出し窓のショウケースなどに影をつくり、後者の平面図で2箇所ある両開き框扉のガラスを透かして店内に床面を照らしているさまが表現されている。8枚目は文房具店で、まぐさを飾る銅鈑打ち出し模様や鉄骨鋼鈑張りに繊細な模様のステンドグラスをあしらった左右出入り口の扉など、これまた凝った造りだ。

折角なので、次回は商店建築図案作品の入選作の方も取り上げてみることにしよう。

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