武満徹 “武満徹の音楽-3(Work of Toru Takemitsu)”

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波瀾万丈の幼少期を過ごした、日本を代表する作曲家の一人である武満徹氏の登場です。もう皆さんの中にも私より詳し方もいらっしゃるとは思いますが、なるべく簡単に書きたいと思います。先ず、両親のことですが、父親は帝国海上保険に勤めていましたが、会社には余り行かず、ビリヤードやダンスに明け暮れたらしいです。母親は祖父が漢学者で厳格な家に育ちましたが、女学生の時にはコレスポンデンス・クラブに入って、外国人と文通したり、軍部批判を声高に喋ったりする不良少女でした。小学生までは満州の大連にいましたが、入学する時には東京の叔母の家に単身預けられました。その時に従兄が4人いて、内の下の2人からは影響を受けていたようです。従兄は、ベートーヴェンなんかのまさしくポピュラーなクラシック音楽が好きでさたが、その一方で1948年に行われた「新作曲派協会」第2回作品発表会に足を運び、後に作曲を師事する清瀬保二の「ヴァイオリンソナタ第1番」のような、当時としては新しい音楽に感動していたとされています。中学生になって在学中に埼玉県の陸軍食糧基地に勤労動員されます。軍の宿舎で、同室の下士官が隠れて聴いていたLucienne Boyer(リュシエンヌ・ボワイエ)が歌うシャンソン”聴かせてよ、愛のことばを(Parlez-moi d'amour)”を耳にして衝撃を受けたそうです。これらの体験から武満は音楽の道を進もうと決心しました。終戦後、清瀬保二に作曲を師事しましたが、ほとんど独学であったそうです。京華中学校卒業後、1949年に東京音楽学校(この年の5月から東京芸術大学)作曲科を受験していますが、その時知り合った天才少年と話していて「作曲をするのに学校だの教育だの無関係だろう」と言う結論に達して、
受験2日目は欠席しています。当時はピアノを買うお金もなく、知らない家からピアノの音が聞こえてくるとそこの家に行って弾かせてもらっていたそうです。その為か、黛敏郎は、武満と面識はなかったにも関わらず、妻のピアノをプレゼントしています。1950年に、作曲の師である清瀬保二らが開催した「新作曲派協会」第7回作品発表会において、ピアノ曲”2つのレント”を発表して作曲家デビューしていますが、音楽評論家の山根銀二に酷評され、泣いていたそうです。この頃、詩人の瀧口修造と知り合い、次作となるヴァイオリンとピアノのための作品”妖精の距離”(1951年)のタイトルを彼の同名の詩から取っています。同年、瀧口の下に多方面の芸術家が参集して結成された芸術集団「実験工房」の結成メンバーとして、作曲家の湯浅譲二らとともに参加、バレエ”生きる悦び”で音楽(鈴木博義と共作)と指揮を担当したほか、ピアノ曲”遮られない休息I”(1952年)などの作品を発表しています。この最初期の作風はOlivier MessiaenとArnold Schoenbergに強い影響を受けています。「実験工房」内での同人活動として、上述の湯浅譲二や鈴木博義、佐藤慶次郎、福島和夫、ピアニストの園田高弘らと共に、Olivier Messiaenの研究と広義の電子音楽(主にテープ音楽)を手がけています。また武満はテープ音楽(ミュジーク・コンクレート)として、”Vocalism A.I”(1956年), “木・空・鳥”(同年)などを製作し、音楽を楽音のみならず具体音からなる要素として捉える意識を身につけていったとのことです。「実験工房」に参加した頃より、映画、舞台、ラジオ、テレビなど幅広いジャンルにおいて創作活動を開始しており、日活映画”狂った果実”の音楽(1956年、佐藤勝との共作), 橘バレエ団のためのバレエ音楽”銀河鉄道の旅”(1953年), 劇団文学座のための劇音楽”夏と煙”(1954年), 劇団四季のための”野性の女”(1955年), 森永チョコレートのコマーシャル(1954年)などを手がけた。これらの作品には、ミュジーク・コンクレートの手法が生かされている他、実験的な楽器の組み合わせが試みられています。また作風においても、前衛的な手法から、ポップなもの、後に”うた”としてシリーズ化される”さようなら”(1954年), “うたうだけ”(1958年)のような分かりやすいものまで幅が広がっています。1957年、早坂文雄に献呈された”弦楽のためのレクイエム”を発表し、この作品のテープを、1959年に来日していたIgor Stravinskyが偶然NHKで聴き、絶賛し、後の世界的評価の契機となったそうです。ここら辺から作風も和楽器を取り入れたものも作曲するようになり、「世界の武満」として知られるようになります。バイオグラフィーは一旦、ここら辺で辞めておきます。
それで、本作品「孤(Arc)」ですが、副題通り、オケとピアノの為の協奏曲で、ピアノは一柳慧が、指揮は若杉弘(Part 1)と岩城宏之(Part 2)が、オケは読売日本交響楽団が担当しています。A面はPart 1と題され、1. Pile, 2. Solitude, 3. Your Love and the Crossingから成り、B面はPart 2と題され、4. Textures, 5. Reflection, 6. Coda…Shall Begin from the Endから成ります。とにかく、ダイナミックな曲で、振幅の幅が半端無いです。特に一柳氏のピアノはトーン・クラスターも交えて、正しく「ピアノ・フォルテ」ですね。私のような素人にも、この曲に込められた意志を感じ取ることができます。この曲は半分が1963年に作曲され、残り半分が1976年に作曲され、完結した曲のようです。しかし、そのような時間の隔たりを感じさせない程の完成度が聴いて取れます。次回は武満徹のミュージック・コンクレートが聴きたいですね。音楽教育が無くても、このような素晴らしい音楽を作れるのは、やはり天才だったのでしょう。皆さんも一度でもは聴いてみてください!

“Part 1”
https://youtu.be/s39EZanjU-Y

“Part 2”
https://youtu.be/C7hWFLrMU_w

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