カフェーの図案・喫茶店の図案@昭和初期の商業図案集

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画家にして装幀家、博覧強記の物書きでもあられる林哲夫氏が『喫茶店の時代』(ちくま文庫)
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でまとめておられるところによると、東京市内の喫茶店は欧州大戦後大正9年(1920年)からの恐慌にあおられてか11年(1922年)には32軒にまで減ったものの、翌12年(1923年)の関東大震災後にはほかの飲食店などは数を減らしているにもかかわらずひとり55軒まで回復、以降年々増えていき、そのピークとなる昭和13年(1938年)には3307軒をかぞえたという。今回はその当時の売れっ子グラフィックデザイナーが世に送り出した商店や企業の宣伝向けの図案プレート集(冊子体ではなく、一葉一葉厚手のカードに仕立てられたものが函や帙などに収められている型式)から、カフェや喫茶店、ついでにバーやビヤホールのところを拾い出してみよう。

序文で著者・内藤良治〈ないとうながはる〉は「本書の内容は諸君の便宜上、商業別に致しました、(中略)幸ひに諸君の御硏󠄀究の御參考になりましたら欣快の至りで御座います。」と書いているが、目次があるわけでも各葉にタイトルがついているわけでもないので、その辺は受け手側のよいように、という考えによる構成のようだ。この手の図案集はいってみれば「素材集」なのだから、なまじいはっきりカテゴライズしていない方が先入観にじゃまされなくてよいのかもしれない。

ところでご存知の方はご存知だろうが、戦前の「カフェー」は、今いうカフェとはちょっと趣向が違った。林氏が引用しておられるところによれば、「洋風の設備を有し直調理を客に供し、連続して客席にはべり、歓興するもの」と法的に規定されていた業種だそうで、要するに酒色を伴う風俗営業店の類いだったのだ。そういう視点で眺めてみれば、おのずとどれが「カフェー」向きでどれが「喫茶店」向きなのかはわかってこよう。もちろんどちらも、化粧をばっちりきめて着飾った女給たちが立ち働いてはいたのだが。

それはともかく、和製デコに傾いた図案化の手法や配色など、当時もてはやされたデザインの趣味的方向性が、たったこれだけ抜き出してみてもよくわかるようにおもう。こうした一種の洗練が、戦局が悪化し統制がすすむにつれて次第に荒れた感じに変わっていき、戦後復興期に一時(恐らく著者に断わりなく)改題覆刻されたりしたものの、やがて消えていってしまうのだった。こうした図案が人知れず埋もれたままになっているのは、なんとももったいない話だ。7枚目は惜しいことに青版が版ずれを起こしているが、これによって緑の部分は青版と黄版とのかけ合わせではなく緑版として別途刷られている、つまり3色のプロセス印刷ではなくて多色刷りであることがしれる。出版意図や目的からして、おそらく初版からこうしたヘマがあったとはおもえないのだが、これも大東亜戦時下に突入した後の版だからだろうか。

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  • 勉強になるなぁ

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  • 貴方の手は何時も青い♡さま:ありがとうございます☆ 書いてあることがうっかり間違っていないといいんですがww

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