チョコレート工場見学@昭和初期の化学プラント図解本

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以前、明治の初めに西洋薬の輸入製造販売のさきがけとして始まった当時の資生堂について一次資料をあたっていたときに実感したことだが、今やその名をしらない人がいないような大企業でも、その創業のころの記録は意外とわからなくなってしまっていることが少なくないようだ。もちろん、震災や戦災、大火というような不可抗力に巻き込まれてうしなわれた資料もすくなくないだろうけれども、試行錯誤を繰り返しながら製品を造ったり売り買いしたり、という日々の仕事におわれて、おそらくは記録をきちんととっておこうというゆとりがなかったからではないか、などと想像してしまう。

日本で最初にチョコレートをつくって売ったのはいつか、というのを安直にネット検索してみるといろいろな説がでてきて、製造者の同業団体ですらおっしゃることが一致していないので、いったいホントのところはどーなの? という疑問がわくのだが、同じことをおもわれた方がすでにあったようで、レファレンス共同データベースに日本最初の新聞広告はいつのものか、というお尋ねへの福岡県立図書館回答事例が載っていた。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000254553
結局、一次資料が確認されているうちでは八杉佳穂氏『チョコレートの文化誌』
https://sekaishisosha.jp/smp/book/b354345.html
に紹介されている明治10年11月1日附け『東京報知新聞』の凮月堂米津松造のものが最も早く、同図書館の方がお調べになった範囲ではそれ以前にはないらしい。「新製猪口令糖」というくらいだから、まぁこの年がはじまりとみてよいのだろう。なおレファレンス記事にもあるように、当の東京凮月堂サイトの「東京凮月堂の歴史」には翌年の『かなよみ新聞』広告のことしか書かれていない
https://www.tokyo-fugetsudo.jp/about/history
ので、いつが最初なのかはあんまり気にしておられないのかもしれない。

森永製菓の「沿革・歴史>明治・大正(1899〜)」には、同社がカカオ豆からの一貫生産を国内で初めておこなったのが大正7年(1918年)、とある。
https://www.morinaga.co.jp/company/about/history.html
大正5年(1916年)に「東京菓子」として創業、大正13年(1924年)に「明治製菓」と商号がかわった今の明治が「ミルクチヨコレート」「明治ココア」を売り出したのが大正15年(1926年)、と同社サイト沿革に書いてある
https://www.meiji.co.jp/corporate/history/
が、その前年に建てられたという川崎工場の生産ラインを今回は見学してみることにしよう(あらら、ずいぶん前振りが長くなってしまった……)。ところどころに登場している人形や動物をかたどった製品は、当時「トーイス」と呼ばれていたようだ。なお4枚目のページだけはチョコレートではなく、同じ工場内のビスケットとウェーファースの製造現場。2枚の写真ともにまるで人形のように全く同じ恰好で立っておられる長白衣に丸眼鏡のお方が、ご取材の際のご案内役だったのかもしれない。

戦前のチョコレート一貫生産の各工程のようすは、なかなか目にする機会がない。原料産地での採集風景からはじまっているのが、さすがは当事者の全面協力あっての記事だけのことはある。このような出版企画が実現したのも、当時の科学教育界と化学工業界の有力者がつどって啓蒙活動をすすめる団体だったからだろう。

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