ミュージック・ガイド 1968年

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「ミュージック・ガイド」誌です。
発行はミュージック・スター社、
編集人は岩田重雄氏、発行人は飯原正信氏となっています。
ミュージック・スター社は、レコード卸の最大手(株)星光堂の姉妹会社で、
飯原正信氏はその星光堂の創業者です。

飯原氏はその著書「商魂」のなかで
「レコード・マンスリーを利用しようと全レ連に申し込んだところ、
『いや、これはアウトサイダーにはやれない』という返事が返ってきた。」
と述べており、仕方なく独自に発行したのが「ミュージック・ガイド」
だったわけです。
当時のレコード業界は、メーカーと小売店が直に契約を結ぶ形態が主流で、
その特約店ルートの商組合が「全レ連」でした。
一方、星光堂等の卸店は後発で、「代行店ルート」と呼ばれ、
煙たがられていた面もありました。
「アウトサイダー」という表現からも、それが良く判ります。
そんなわけで、ことの善し悪しはともかく、
特約店ルートで配布されたの Music Monthly や Record Monthly 、
星光堂ルートの卸店経由で配布されたのが
「ミュージック・ガイド」です。

創刊は1967年1月のようで、ちょうど Music Monthly から
Record Monthly に切り替わる頃です。
岩田氏に関しては、「RECORD FAN」誌の編集発行人として
ご紹介しましたが、上記「商魂」によると、
「かつてビクターで社内報を担当していた」と記されています。

この「ミュージック・ガイド」は当初より B5 サイズだったようで、
誌面は大変見易くなっています。(画像4)
また、ミュージック・テープも掲載対象となっています。
レコード・メーカー各社の広告も入っているところをみると、
小売系の商組合は「新参者に我々のパイを奪われたくない」
と反発している一方、メーカーとしては
「レコードを拡販するためには、もっとお店を増やすべき」という
星光堂の考え方に理解を示す側面もあったように見受けられます。

1968年3月号では「帰って来たヨッパライ」に関する座談会が
掲載されており、ビートルズ・ファンには有名な高嶋弘之氏が、
ディレクターとして参加されています。
(画像5 小さな写真もあります)

チャート情報も掲載されていますが、メーカー別になっています。
岩田氏の編集していた「RECORD FAN」誌も同様だったため、
これは岩田氏の方針とも考えられますが、違うような気もします。
つまり、問屋として多くのレコードを供給していたとは言え、
この時代に店頭での販売状況を吸い上げるツールはなかったわけで、
情報源をメーカーに求めるしかなかったのではないか、とも考えられます。

1968年7月号では 1910フルーツガム・カンパニーの「サイモン・セッズ」が
日本でも発売される旨の記事が掲載されています。(画像7)
この曲をラジオで初めて聞いたとき、D.J.の方が
「契約がないため、残念ながら日本では発売できない」とコメントしており
残念に思ったものでした。

「ミュージック・ガイド」誌は、2001年頃まで発行されたと思います。

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