Dudley Moore / Plays The Theme From Beyond The Fringe & All That Jazz (US, mono, Atlantic, 1403) <1962>

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Dudley Moore / Plays The Theme From Beyond The Fringe & All That Jazz (US, mono, Atlantic, 1403) <1962>
(SIDE 1) A-11989-A
(SIDE 2) A-11990-A

Piano – Dudley Moore
Bass – Peter McGurk
Drums – Chris Karan
Cover – Lee Friedlander
Sleevenotes – Nat Hentoff

ダドリー・ステュアート・ジョン・ムーア(Dudley Stuart John Moore, CBE, 1935年4月19日 - 2002年3月27日)は、イギリスの俳優、コメディアン、ミュージシャンである。アカデミー賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞を受賞した。

ムーアの名が世に知られたのは、1960年代初期に『Beyond the Fringe』の4人の脚本兼出演者のうちの一人としてであった。それからさらにピーター・クックと結成していた二人組の一方として徐々に有名になった。喜劇俳優として非常に有名になったのは、ボー・デレクと組んだ『テン』や、『ミスター・アーサー』といった1970年代後半から1980年代前半にかけてのハリウッド映画での成功のおかげであった。

ムーアはイギリスのエセックス州ダゲナムで鉄道電気技師の息子として生まれた。労働者階級に属する両親は、子供たちにあまり愛情を示さなかった(そのことについては彼の姉が公表している)。5フィート2インチ半(1.59メートル)と目立って背が低かった。また生まれつきの内反足のために長期の加療を必要とした。そのことと背が低いこととを合わせて、他の子供たちにからかわれた。いじめられる辛さから逃れるため、6歳のときコーラス隊に入り、ピアノやバイオリンを始めた。ピアノとオルガンの腕はめきめきと上達し、14歳のときには教会の結婚式でパイプオルガンを演奏していた。また、親切な教師ピーター・コークが音楽奨学金を提供してくれたおかげでダゲナム郡立高校に通うことができた。コークはムーアにとって無二の親友となり、1994年まで交際があった。

オクスフォード大学モードリン校で音楽と作曲を学び(オルガン専攻であった)、オクスフォード・レビューにおいてアラン・ベネットと共演した。このときベネットはムーアを『Beyond the Fringe』のプロデューサーに推薦したが、このコメディは多くの人から『空飛ぶモンティ・パイソン』の先駆けとなった作品と見られている。『Beyond the Fringe』は1960年代の風刺ブームの嚆矢であった。イギリスで大ヒットした後、舞台をアメリカに移し、そこでもまたヒットした。

大学時代、ムーアはジャズに強く興味を持つようになり、すぐに名ジャズピアニスト、作曲家となり、ジョン・ダンクワースやクレオ・レインといった一線のミュージシャンたちとともに活動した。1960年にはダンクワースのバンドを『Beyond the Fringe』に参加させた。その後、高く評価されることになる「ダドリー・ムーア・トリオ」(ドラムはクリス・カラン、ベースはピート・マガーク後にピーター・モーガン)を1960年代に結成した。

https://www.youtube.com/watch?v=RQmE00glZOA&list=RDRQmE00glZOA&index=1

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