アメリカ・フランス・日本のレヴュー@昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス図鑑

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モダン尖端文化華やかなりし1930年代に刊行された、一風毛色の変わった「圖鑑」に載っている、ニューヨークのブロードウェイ、パリ、そして日本の東京・大阪で公演されているそれぞれのレヴューの特色を紹介した記事。
レヴューやヴォードヴィル、キャフェ・コンセール、サーカスなどを総称してアトラクションと呼ぶ、というようなことを『キネマ旬報』誌同人で映画評論家の内田岐三雄〈うちだきさお〉が同誌でおよそ2年にわたり断続的に連載していた「アトラクション講座」冒頭で語っているが、大正後期から昭和初期にかけては映画館でも実演アトラクションを併演してお客を引っ張っていたこともあってか、映画批評や脚本書きなどで飯が喰えているような愛好家の中にはフランスやアメリカまで渡航して現地のレヴューを観ておられた方も少なくない。ここで解説をなさっている、同じく同人の松井翠聲や如月敏もそうした人たちだ(余談:図版研ではとある方面のご依頼を受けて、昨年いっぱいずーっとアトラクションまわりの資料を本1冊書けるほどあつめ、実際に執筆にもちょこっと手を着けたりしていたのだが、今年に入って先方からの音沙汰が途絶えたため打ち切った。こちらの企画でもないのに勝手に進めるわけには行かないし、それにどーしても本にまとめておきたい、というほどに興味あるテーマでもないので、どうやら日の目は見なくて済みそう)。
アメリカのレヴューはこれでもかと金を注ぎ込んだ豪華な演出だが、露出度はそれほど高くない。フランスの方は少なくとも臍から上の身体は覆わないのが当たり前で、ここにも書かれているように股間の前だけ葉っぱのような飾りで隠しているような衣裳(……なのかしらん?)も珍しくなく、国外からの観光客の度肝を抜いていたようだ。当時の写真を眺めてみてもそれほどとも感じないけれども、この時代の人々にしてみれば強烈な刺戟のショウだったことが、こうした記事から知れる。
それに較べたら日本のレヴューは、殊に人気を誇った松竹のものなどは「エロ」の面ではかなりおとなしい。寳塚少女歌劇は華やかで更に上品な感じだが、白井鐵造が持ち込んだ演目「モン・パリ」「パリ・ゼット」など、オリジナルはそれとはかなり雰囲気の異なる「エロ百パーセント」の「ハダカ踊り」だったようだ(公演を撮影した同名の映画作品が輸入上映されていたことが当時の映画雑誌の広告や記事などからわかるので、そうした現地事情は日本人にも結構広く知られていたらしい……よくぞ検閲で撥ねられなかったな、とおもうのだけれども)。
如月も感歎しているように、昭和に入った辺りになると洋食など栄養のよい食事で育ち美容にも気をつかい化粧法に手慣れた、前の世代とは顔立ちも身体のプロポーションも大きく異なる、おもわず見とれてしまうようなお嬢さん方が街を闊歩するようになった。そうした変化が舞台の上の世界にもはっきりとあらわれ、欧米のショウと見較べてもそれほど見劣りしないステージを堪能できるようなモダンな世の中になってきていた……戦争がそれを許さなくなるまでは。

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