Taraf De Haidouks (沖縄市民会館, 2004年10月16日)

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70年代後半にボブ・マーレーのおかげでレゲエが一般化し、80年代にポール・サイモンの「グレイスランド」でアフリカ音楽が一躍脚光を浴びるなど、音楽産業のグローバル化に伴い民族音楽が「ワールド・ミュージック」と呼ばれるようになり容易にアクセスできるようになったわけですが、それでも東欧のソ連型社会主義圏の音楽を耳にする機会はほとんどありませんでした。

それが1990年前後の冷戦終結後から状況が一変し、東欧音楽が怒濤のように流れ込んできました。1991年デビューのタラフ・ドゥ・ハイドゥークスは、そんな流れの中で西欧文化圏に進出してきたバンドです。

カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したエミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」(1995年)でバルカン・ミュージックが受け入れられたのも大きな追い風になったような気がしますが、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスは90年代に急速に認知度を上げ続けました。

僕はタラフ・ドゥ・ハイドゥークスについてはかなり後追いで、初期3部作から編纂された1999年ベスト盤で初めて知りました。広島パルコの最上階のタワレコで山積みされ強力にプッシュされていたのを何となく購入、ただしこの時ベスト盤は心に響かず、そのまま放置していました。

それが一変したのは、生演奏に飢えていた沖縄生活中の2004年。たまたま(なぜか)沖縄に来たタラフ・ドゥ・ハイドゥークスのコンサートを見ることに。特に期待もせず「ナマ演奏に触れる機会もないし、まあ行っておこうか」ぐらいの軽い気持ちで、1曲も知らないまま観に行きました。

始まった1曲目"The Return of the Magic Horses"でひっくり返りそうになりました(曲名も知らなかったけど、20年近くたった今でも「これが1曲目だった」と思い出せるほどのインパクトがありました)。とにかくスピード感が半端なくて、縦横無尽に駆け巡るヴァイオリンやツィンバロムが終始圧巻。このとき「自分という人間は感動しすぎると笑ってしまうんだ」と知りました。哀感あふれる爺さん達の歌声も衝撃的でした。

会場内はタラフの名前も知らない人が大半だったはずですが、沖縄らしい明るい聴衆だったおかげでしょうか、タラフに乗せられてみんな踊りまくってました。一生の記憶に残るコンサートになりました。ちなみに終わった後もメンバーは玄関に出てきて演奏して観客から投げ銭を集めてました。会場で販売されていた2001年の” Band of Gypsies”を買って、サインまでもらったのも、よい記念になりました。

ちなみにそれからはタラフ・ドゥ・ハイドゥークスが来日する度に見に行きました。もちろん、バルカン・サウンド、ロマ音楽も相当に掘り下げました。様々な音楽を聴きすぎて、30歳頃は「もう聴く音楽がなくなるんじゃないか!?」と尊大にも思っていましたが、未だに新しい音楽を聴いて感動する毎日です。音楽の奥深さに感謝です。

The Return of the Magic Horses
https://www.youtube.com/watch?v=uds9QN_FZC8

https://www.youtube.com/watch?v=pT4IufMeyYA&t=89s

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