19世紀のポンペイ遺跡風景@明治初期の世界地理教科書

0

前回地図を取り上げた明治初期の地理教科書に載っている、火山噴火で埋もれた著名な古代ローマ時代の都市ポンペイ遺跡の風景画。木口木版によるこの図版は特によ〜く見せたかったらしく、白色度の高い特厚の上質な紙に刷られている。原著の刊行時期からして恐らく19世紀半ば、本格的な発掘が始まってからちょうど100年ほど経った時期の様子を写したものとおもわれる。

「邦貝」と書いてあるのが「ポンペイ」の宛て字。支那の奇書『封神演義』に親しまれた方ならば「宝貝〈ぱおぺえ〉」という語に見憶えがあろうかとおもうが、そのノリなのだ。19世紀の教科書などでは、殊に外国の地名や人名にはその目印としてこのように傍線が引っ張ってあるのがよくみられる。1枚目は手前に雨水を溜めておく四角いインプルヴィオが見えるので、どこかの邸宅跡のアトリウムだろう。2枚目はネクロポリスかな〜、ともおもうが、いずれにせよ現地を訪れたこともなく、よくわからない。その後も発掘が進められているし、第二次欧州大戦中は連合国軍による空爆に見舞われてもいるので、この当時とは景色もだいぶ違っていることだろう。

Default