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19世紀のポンペイ遺跡風景@明治初期の世界地理教科書
前回地図を取り上げた明治初期の地理教科書に載っている、火山噴火で埋もれた著名な古代ローマ時代の都市ポンペイ遺跡の風景画。木口木版によるこの図版は特によ〜く見せたかったらしく、白色度の高い特厚の上質な紙に刷られている。原著の刊行時期からして恐らく19世紀半ば、本格的な発掘が始まってからちょうど100年ほど経った時期の様子を写したものとおもわれる。 「邦貝」と書いてあるのが「ポンペイ」の宛て字。支那の奇書『封神演義』に親しまれた方ならば「宝貝〈ぱおぺえ〉」という語に見憶えがあろうかとおもうが、そのノリなのだ。19世紀の教科書などでは、殊に外国の地名や人名にはその目印としてこのように傍線が引っ張ってあるのがよくみられる。1枚目は手前に雨水を溜めておく四角いインプルヴィオが見えるので、どこかの邸宅跡のアトリウムだろう。2枚目はネクロポリスかな〜、ともおもうが、いずれにせよ現地を訪れたこともなく、よくわからない。その後も発掘が進められているし、第二次欧州大戦中は連合国軍による空爆に見舞われてもいるので、この当時とは景色もだいぶ違っていることだろう。
地理論略 明治16年(1883年) 明治15年(1882年) 木口木版刷り図版研レトロ図版博物館
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19世紀の邦訳世界地図@明治初期の世界地理教科書
明治10年代に文部省が出した地理の教科書に載っている、細密に描かれた木口木版画の世界地図の中から、いくつか紹介しよう。この時代のハードカヴァーの教科書の用紙は厚手の上質なもので、刊行から130〜140年ほども経ていても、紙質は腰があってしっかりしている。紙焼けによる褐変がむしろよい雰囲気の古味になっているくらいだ。 1枚目は地中海や黒海をかこむ、中欧・西アジア・北アフリカの山脈図。上が西になっているので、ぱっと見で「どこだこれ?」とおもってしまうかもしれない。2枚目は世界の火山帯・地震帯を示したもの。3枚目は北極海、グリーンランドとエルズミーア島とをへだてるバフィン湾のあたりを描いたもの。4枚目は潮汐図。5枚目は各地の特徴的な動物、6枚目は同じく鳥類や魚介類の分布を示す。そして7枚目は18世紀後期にドイツの医師ヨハン・F・ブルーメンバッハが提唱した「コーカシア(白色)」「モンゴリカ(黄色)」「エチオピカ(黒色)」「アメリカナ(赤色)」「マライカ(茶色)」の5大人種という分け方にもとづき、それぞれの分布をあらわしたものだ。 当時は西洋の地理学が日本に入ってきたばかりのころで、教科書も洋書を邦訳したものしかなかったのだが、訳語も試行錯誤の段階だったため、今日一般に使われている用語や外国地名の表記などもだいぶ違うし、本によってもバラつきがあった。そのへんが今の人々にとってはわかりにくいといえばその通りだし、一方でそこが面白いともいえる。
地理論略 明治16年(1883年) 明治15年(1882年) 木口木版刷り図版研レトロ図版博物館