橋のある横浜風景@明治中期頃と思われる外信用絵葉書

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絵葉書はコレクションアイテムとしては誰にもわかりやすく、専門のコレクターも昔から相当数おられる上に、なにしろ数が多くて蒐めはじめたら(たとえテーマを絞ったとしても)キリがない、というオソロシい世界なので、なるべく手を出さないようにしている。とはいえ、1枚数百円程度で興味を惹かれる絵柄のものに出遇ったりすると、やはりついつい買ってしまったりすることもある。

幕末に来航外国船へ向けて新たに港が開かれた横浜は、元は特に目立つところもない小さな漁村だったという。変わりゆく時代の荒波にもまれながら急速に交易都市へと変貌していったこの街の、おそらく明治2〜30年代くらいの風景とおもわれる国際郵便用絵葉書のなかから、橋が写っているものを3点択び出してみた。1、2枚目は同じシリーズもののようで、どちらも "View of Yokohama" "Japan collection M. M." とキャプションがついている。3枚目は宛名書き面に鉛筆で "YOKOHAMA" と書いてあるだけで、どこの景色なのかは印刷されていない。
1枚目は奥に百段階段が写っていることからして、間違いなく堀川の前田橋だが、2枚目と3枚目はそれほどの土地勘も同地の昔のことについての知識もない者にはどこだか見当がつかない……。
1枚目の橋向こう、元町側には出桁造りの二階屋が建ち並んでいるが、右手の手前から3軒目に "YAMADA-YA" と書かれているらしい看板が見える。また左手橋の袂には「鈴木屋」という突き出し看板がぶら下がっている。橋は金属製欄干になっているようだから、木橋から鉄橋に架け替えられた明治23年(1890年)よりも後ということがわかる。長崎大学附属図書館で公開しておられる小川一真アルバムに、ほぼ同じ構図の写真がある。
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/zoom/jp/record.php?id=277
さて2枚目、細い流れは大岡川が中村川と分岐するよりも上流のあたりだろうか? よ〜く視ると小さな石橋の上に4人ばかり、こちらを向いて立っているらしいことに気づく。向かって左手の建物は料理屋か旅館か、結構大きいようだが屋号などは見えない。
3枚目は丁寧な仕事の手彩色写真。かなりの川幅に鉄橋が架かっている。小雨が降っているのか強い陽射しを避けるためか、傘を差している人が多く、人力車や荷車なども通っているが自動車は全く見当たらない。対岸の川沿いの並木の下に人力車が何台も停めてある。川の中洲に電柱が立っているのが目を惹く。右手の柱には看板らしきものが取り付けてあるが、拡大したら読めるかな〜、とおもってマクロレンズで接写してみたけれども、何が書いてあるかわかりそうでわからない……。左手の電柱の蔭になっている看板も、「た」のような字が見えるけれどもやはり何だかわからない。電柱が川のど真ん中にあったり、橋脚が細くて何本も据えられているところなどみると、山の方から直接流れてくる川ではなくて、派大岡川のような埋め立て地に設けられた運河なのかもしれない。

ところで表書き側をみると、いずれも「萬國郵便聯合端書」と印刷されている。3枚目は宛名しか書けないようになっているが、1、2枚目は左側に "partie réservée à la correspondance" と書かれた空白スペース、つまり通信欄がある。このように分割されたはがきは明治39年(1906年)にローマで開催された万国郵便連合の会合を機に各国へ広まり、日本では翌40年(1907年)から作られるようになったそうだが、しかし大正7年(1918年)になるまではたしか仕切り線が1対2のところに設けられていた、ということだった筈……そしてはがきを「端書」と書かずに「葉書」に統一されたのは1912年、という話と照らし合わせると勘定が合わない。ありゃ? 
いずれにしても、風景写真としてはどんなにおそくとも20世紀早々、明治晩期というよりも中期の撮影なんじゃないかな〜、という気がするので、一応「頃」を添えてタイトルにしておいた。これがどこの景色なのか、ということも含め、どなたかご存知の方があれば是非お教えいただきたい。

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