Orchestral Manoeuvres In The Dark ”Organisation (エノラ・ゲイの悲劇)”

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出ました、出ました!英国エレ・ポップ(或いはテクノ・ポップ)の雄、Orchestral Manoeuvres In The Dark (以下、OMDと表記)の登場です。今回は、彼等のセカンド・アルバム”Organisation (邦題「エノラ・ゲイの悲劇」)を紹介します。英語名より邦題の方が良く知れ渡ってますね。それでは先ず、彼等のバイオグラフィーを書いておきます。OMDは1978年に英国MerseysideのWirralにて結成されました。創設メンバーはAndy McCluskey (Vo, B)とPaul Humphreys (Kbd, Vo)で、後にMartin Cooper (Kbd, Sax)とStuart Kershaw (Drs)が加わりました。OMDは、1970年代後期から1980年初期に起こったシンセ・ポップの文脈にあって、実験的でミニマルな態度とポップネスを結びつけた存在であり、MTVを通じて流行ったことから、米国では「セカンド・ブリティッシュ・インヴェイジョン」の立役者とも言われています。それで、グループの始まりですが、McCluskeyとHumphreysは、1960年代初頭、まだテーンエイジャーだった頃にMeolの学校で会っています。そして、1970年中期に、それぞれ違うバンドに加入していましたが、ギター中心の漢っぽいロックバンドでした。1975年には、McCluskeyはEquinoxと言うバンドで、ベースとメイン・ヴォーカルを担当していましたが、彼とHumphreysは、Kraftwerkを聴いて、そんな電子音によるポップ・ミュージックをやろうとします。McCluskeyは、Equinox の後、PegasusやHitlerz Underpantzに加入しますが、McCluskeyはHumphreysとエレクトロニクスの可能性にかけるようになっていきます。1977年9月に2人は、7人組のバンドThe Idを始め、Merseyside地区で定期的にライブをやるようになります。このバンドでは、1979年作のコンピレーション・アルバム” Street to Street – A Liverpool Album”に1曲収録されています。その一方で、McCluskeyとHumphreysは、サイド・プロジェクトとしてVCL XIを始めます。この名前は、Kraftwerkの5枚目のアルバム”Radio-Activity”の背表紙に載っていた文言から取っており、2人は、より抽象的電子音楽の実験を進めていきます。1978年8月にThe Idは解散しています。同年8月から9月まで、McCluskeyはDalek I Love Youでリードヴォーカルをやっていましたが、すぐに辞めて、Humphreysと共にVCL XIを立ち上げ、更に、バンド名をOMDと改めます。このデュオ名は、McCluskeyの寝室の壁に書いた歌詞の中から取られており、パンクバンドとは間違われない名前にしたとのこと。当初はライブは考えていなかったらしく、また労働者階級の若者として、OMDは出発したので、中古のジャンクショップで売っている楽器を使っていました。時には、叔母のラジオを改造したりもしてますが、その後、やっとのことでKorg M-500シンセを分割て買い、OMDは、デュオでライブを始めます。バックトラックはTEAC4トラックテープレコーダー(これにはWinstonと名前が付いていた)に入れて、1978年10月に、リバプールのEric’s Clubでライブ・デビューします。それで、彼等は、インディーレーベルのFactory Recordsより、Martin Hannettのプロデュースで、シングル”Electricity”をリリースします。しかし、このシングルのA面には、Winstonの所有者で、後にマネージャーになる友人(通称Chester Valentino)が録音したデモトラックが使われていました。しかし、このシングルは大当たりし、Dindiscを通じて、7枚分のアルバム制作代を得ることになります。それで、McCluskeyはアルバム作製の為に、スタジオを借りるよりも、自分達のスタジオを持つ方が良いと考え、Dindiskから前借りして、リバプールに、the Gramophone Suiteと名付けられた録音スタジオを建てます。そこで、OMDはデビューアルバムを作製しますが、ゲストとして、The IdのMalcolm Holmes (Drs)とDalek I Love YouのMartin Cooper (Sax)も加わっています。そこからシングルカットされた”Messages”と言う曲はGongのベーシストMike Howlettのプロデュースで録音し直しており、OMDの最初のヒットとなります。1980年になると、Dalek I Love YouのDave Hughesが加わり、MTVの作製に関わり、またツアー要員として、Holmes (Drs)とHughes (Synth)が加わります。そして、OMDは、本作品でもあるセカンドアルバム”Organisation” (この表題名は、Kraftwerkの前身バンドの名前から取られています)を、McCluskey, HumphreysとHolmesで録音され、Howlettがプロデュースしています。どうも、レーベルメイトだったJoy DivisionのIan Curtisを意識したとのことです。この後のツアーでは、Martin Cooper (Kbd)が加わり、初期のOMDの鉄壁のラインナップとなります。このセカンド・アルバムは、1980年〜1981年で、Record Mirror誌やNME誌、Sounds誌などから高い評価を受けています。と言うことで、まだまだあるのですが、書き切れないので、一旦ここまでとします。
それで、本作品なのですが、一番有名な曲”Enola Gay (エノラ・ゲイの悲劇)”が大ヒットし、これでOMDを知った方もいらっしゃると思います。これは広島に原爆を落とした爆撃機の名前なのですが、勿論「反戦」を訴えているだけでなく、音楽としても良く出来た曲だと思います。またアルバム全体には、ミニマルなシンセのメロディとかリフは健在なのですが、先述のようにややダークな雰囲気が覆っています。これは恐らくHowlettのプロデュースによるところでしよう。それとHolmesのドラムが入ったことで、リズムマシンとの相性も良く、音にダイナミズムを感じますね。結構、シングルカットされた曲以外にも名曲揃いで、聴き応え充分ですので、初期OMDのポップセンスを体験するには良いアルバムだと思います❗️是非❗️

https://youtu.be/PPXq8FdGR1I

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