ヒカシュー(Hikashu) “夏 (Summer)”

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このアルバム、と言うかこのグループも私のルーツの一つですね。ファースト・アルバム”ヒカシュー”も高校生時代に毎朝聴いていましたし、当然、このアルバムも高校生と時にはヘビロテしてました。大学生になって市川市に住むことになった時は何度かライブを観に行ったものですよ、はい。バイオグラフィーは日本語のWikiで直ぐに出てくるので、そちらを参照した方が良いかも。と言っても、まあ息の長いバンドですので、ザックリと、初期の活動とかを紹介しておきますね。1973年に巻上公一と井上誠は東京キッドブラザーズに席を置き、巻上さんは海外公演に参加するも、公演自体が途中で空中分解してしまい、巻上さんは路頭に迷います。その時に、前衛演劇団ルミュエール&サンに参加。無事帰国後、巻上さんはミスタースリムカンパニーに加入。1977年に巻上さんが、自分のプロデュースする演劇「コレクティング・ネット」の劇の音楽を井上さんと山下康のデュオに依頼したことから全ては始まりました。そのデュオは今では「プレ・ヒカシュー」と言われており、インド音楽に影響を受けた音楽をやっています(CD発売されている)。その依頼がキッカケで、巻上さんが、自分と海琳正道(現在は三田超人と呼ぶ)と戸辺哲でやっていたル・インチと言うバンドで、そのまま、井上さんと山下さんのグループに参加し、5人体制になって、ヒカシューが生まれたと言う訳です。因みに、井上さんは、週間プレイボーイで、冨田勲監修のシンセ・ミュージック・コンクールに応募して入賞しています。この入賞者の曲はレコード化されていますが、それにはP-Modelの平沢進の作品も入っているとか。入賞者にはレコード化以外にシンセも貰えたらしいです。それで話しをヒカシューに戻すと、「ヒカシュー」と言うバンド名の由来は色々あるみたいですが、Wikiを読んでみて下さい。そして、その活動が始まったのが1978年頃です。メンバーにシンセ奏者が2人もいて、しかもリズムマシンを使っていると言うスタイルだったこともあり、また、当時出てきたP-ModelやPlasticsと共に「テクノ御三家」と呼ばれて、ニューウェーブ・バンドとかテクノポップ・バンドのイメージが強かったですね。しかしながら、結成当初から演劇、フリーインプロヴィゼーション、民族音楽を取り入れたアプローチを続けていましたし、その後もジャズ、クラシック、雅楽など幅広い要素を取り込みながら活動を続け、現在はインプロヴィゼーションを演奏の根幹に取り込みながら、即興と作曲が共存するノンジャンルの音楽を志向しています。なので、基本は、奔放なインプロビゼーションと巻上さんの独特のヴォーカリゼーションからなる楽曲の二本柱で構成されており、井上さんと山下さんがイノヤマ・ランドに集中する為に脱退すると、メンバーの変遷は多数ありましたが、段々とインプロを中心に種々な民族音楽やジャズなどを雑食した独特の音楽を演奏するバンドになっていきます。まあ、ここら辺は後期のアルバムを聴くと分かると思います(と言いながら私は未聴、すまん!)。なので、ここでは敢えて「テクノ御三家」時代の彼等の音楽について紹介しますね。
それで、彼等ののセカンド・アルバム「夏」です。いきなり、カッコいいビートが鳴り響くA1 ”オルタネイティヴ・サン”で幕を開けます。更に、この時期、The Venturesとも競演し、また映画「チェンジリング」のテーマ曲にもなったA3 ”Pike”、B面の曲は割とシニカルな歌詞のものが多く、ついつい深読みしてしまいます。B5 “Bino-Pike”は山下さん渾身の曲で、リズムボックスを使いながらも7/4拍子と言うインストものなんですが、ノリが良くてビックリしました。最後は、B6 “瞳の歌”で希望を予感させて締めてます。と言いながら、ドラムもゲストでJuicy Fruitsの高木利夫が参加しています。「夏」と言うと解放感とか陽気とかを思い出しがちですが、このアルバムの2/3は「夏故に憎む」と言うシニカルな曲から構成されており、エアコンの切れた部屋の中で考え込んでいるような気分です。まあ、兎に角、ヒカシューの「悪意」を聴いてみて下さい。ハマるかもしれませんね。

https://youtu.be/2cdJG0fe5s0

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