Blondie “Parallel Lines (恋の平行線)”

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Blondie、今更?と言わないでください。私、結構好きなんです(しかし、Murder CooperationとBlondieを一緒に聴くと言う振り幅も凄いけど)。1980年代の代表的ディスコ・ナンバー”Call Me”で一気に有名になった彼等ですが、実は結構古株なんですよ。では、彼等のバイオグラフィーを。元々は、ウエイトレスやPlayboyのバニーガールをやりながら、VoをやっていたDoborah Harry (通称Debbie)が所属していたガールズバンドStilettoesのバックバンドに、1973年にChris Stein(G)が加入したことから始まります(何と1960年代後半にはDebbieはフォーク・ロック・グループThe Wind In The Windowsのメンバーでした!)。二人はStilettoesをより新しい方向へ持って行こうと、創設メンバーでもあるElda Gentile、元StilettoesのBilly O'Connor (Dr)及びFred Smith (B)と新バンドを始めますが、1974年8月に2回のライブの為にAngel and the Snakeとして出演しますが、10月にバンド名をBlondieに変えます。それは、通りがかりのトラック運転手がDebbieに「よう!ブロンドのおねえちゃん! (Hey, Blondie!)」に声をかけたことに由来します。それで、1975年春にIvan Kral (G)及びTishとSnooky Bellomo姉妹 (Back-Vo)を含むメンバーチェンジをして、ChrisとDebbieはClem Burke (Dr)とGary Lachman (B)と共に、Max’s Kansas CityやCBGBに定期的出演するようになります。それで1975年6月にバンドは最初のデモ録音をAkan Betrockのプロデュースで作ろうとしますが、煮詰まってしまい、そこで、KbdプレーヤーのJimmy Destriを同年11月にリクルートしてきます。そして、彼等はPrivate Stock Recordsと契約、1976年11月に、彼等のデビューアルバム”Blondie (邦題「妖女ブロンディ」)”をリリースします。しかし最初は商業的成功は得られませんでした。そこで、1977年9月にはPrivate Stock Recordsとの契約を蹴って、英国Chrysalis Recordsと契約します。そして、1977年10月には彼等のファースト・アルバムが、Chrysalisから、再リリースされます。当時のRolling Stone誌は、Phil SpectorやThe Whoを引き合いに出して、彼等の音楽に電子的特徴を見い出し、2つの得意点についてコメントしています。その2つとは、1つは Richard Gottehrerのプロデュース力、そしてもう1つはDebbieの(セックス・シンボルとしての)ペルソナであると。ここら辺はまた別のところで書きます。David BowieとIggy PopはBlondieのデビューアルバムを聴いて、気に入り、1977年初頭にIggyは自身の”The Idiot”ツアーにサポートとしてBlondieを登用し、彼等の商業的成功に繋がります。そして、1978年2月にセカンド・アルバム”Plastic Letters (邦題「囁きのブロンディ」)”がリリースされますが、このアルバムは Gary Valentine (B)が1977年中盤に脱退していますので、4人で作製されました。また、このアルバムの為に、かなりハードな国際ツアーが行われています。このツアーではFrank InfanteがBで加入しますが、直ぐに英国人Nigel HarrisonがBで加入し、その為、FrankはGにスイッチします。この6人編成が最も安定したラインナップとなります。英国ロンドンのRroundhouseでのライブの成功で、「米国のニューウェーブ・バンドの中で、最も英国のメインストリームで成功した初のバンド」と言われる程でした。そして、1978年9月に、Blondieはサードアルバム”Parallel Lines (邦題「恋の平行線」)をMike Chapmanのプロデュースでリリースします。これが本作品となりますが、このアルバムが最も成功したアルバムで、世界で2000万枚が売れたとのこと。特にそれまでは今ひとつだった米国でも、ヒットシングル”Heart of Glass”でブレイクしたことが大きかったみたいです(因みに、英国では1位、豪州では2位であり、米国でも6位にまでなっています)。シングルカットされた”Picture This”と”Hanging On The Telephone (これはThe Nervesの曲では?)”は、英国ではチャートインしており、Chrysalisは米国向けにヒットするようなカバー曲としてBuddy Hollyの"I'm Gonna Love You Too (邦題「好きになりそう」)”を米国での最初のシングルとしてリリースしますが、大誤算でチャートインはしませんでした。この中では一番皆んなが知っている曲"Heart of Glass"が、1979年初頭にリリースされましたが、これが当時、流行っていたディスコでかかりまくって、英国チャートだも米国チャートでも1位になっています。後にClem Burkeが語ったのには、この曲は、Kraftwerkからの影響とBee Geesの”Stayin’ Alive”からの影響が少しあったとのこと。お陰で、Jimmy DestriのKbdセクションにシンセを導入し、大掛かりな配置換えがされた模様です。またNYCではビデオ作品も作られ、この中では、Debbieの気の強さやワガママさと同様に、ハードでかつ性的な自由奔放さが強調され、彼女は他のメンバーからとは異なり、一種のセレブ的な状況に身を置くようになります。また、米国での次のシングルカットは”One way Or Another (邦題「どうせ恋だから」)”はハードなロック調の曲で、これは米国でも24位となり、成功しています。英国では”Sunday Girl”がシングルカットされており、これも英国では1位になってヒットしました。まあ、ここら辺にしておきましょう。
もう、余り感想を書くことも無いのですが、個人的にはこのアルバムを買うキッカケになったのは、矢張り当時、良くディスコでかかっていた”Heart of Glass”(この後にイタリア人プロデューサーGiorgio Moroderとの共作”Call Me”)があったことと、彼等のファーストアルバムからシングルカットされてた”X-Offender“が気に入っていたことによると思います。その当時はBlondieって、パンク/ニューウェーブの線の上で認識していたのですが、何かちょっとメジャー志向があり、何かパンクとかとは違うなあと思ってました。もうA-1 “Hanging On The Telephone”からカッコ良くて、ポップなチューンが続きますが、”Picture This (邦題「恋のピクチャー」)”のハードなVoや”Sunday Girl”の甘いVoなど、Debbieのヴォーカルが楽しめますね。それと矢張り”Heart of Glass”のシンセが大活躍するディスコティックな曲もお気に入りです。まあ私もまだ青かったんでしょうね。そんなことを思い出させる一枚です。メジャー指向ですが、Debbie自身はいつでもセックス・シンボルでありましたし、そんな彼等が、一度は解散しているものの、まだ再結成して活動していることを嬉しく思いますね。これは私の個人的な思い入れのあるアルバムなので、皆んなが皆んな好きになる訳ではないですが、もし、興味のある方は是非聴いてみて下さい(それにしても、当時の邦題の付け方は今となっては爆笑もの的に酷いと思いますよ)。

https://youtu.be/nM7wTS182v0

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