M.B. “Endometrio”

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漸く登場は、Maurizio Bianchi (マウリッツィオ・ビアンキ)ことM.B.です。彼は元々、Tangerine DreamやConrad SchnitzlerおよびThrobbing Gristleに影響を受けて、イタリアのミラノで、1979年にSacher-Pelz名義として音楽活動を始めました。しかし、1980年には本名或いはM.B.とイニシャルで、本格的にノイズ・インダストリアル・ミュージックを作製するようになり、特に1980-1983年の活動で、一躍有名になりました。その後、彼はエ○バの証人に入信し、音楽活動を中断しています。その後、1998年に音楽活動を再開しますが、2009年には活動が途絶えていました。ただ、近年では複数のレーベルが新録の作品やSacher-Perz名義でのリリース出しており、また再復活しているようです。それで、最初の活動時期の紹介をしたいと思います。1981年にM.B.としてのファーストLP “Symphony for the Genocide”はNocturnal Emissions(NE)レーベルSterile Recordsからリリースされますが、それ以前に、Merzbow, G.X. Jupitter-Larsen(The Haters), SPK, Nigel Ayers (NE)やWilliam Bennette(Whitehouse)などの当時のインダストリアル・ノイズ・シーンを盛り上げていたアーティストとメール・ミュージックを通じて、交流を持つようになります。それら多くのグループがライブ活動もやっていたにも関わらず、彼は、イタリアで宅録ノイズ・アーティストとして匿名性(当時は誰もM.B.の顔を知らなかった)の中で活動をしてました。実は、1983年頃、私もM.B.と交流があり、彼が、日本の輸入盤店某イース○ン・ワークスと揉めていました。その仲介を頼まれて、店舗に行って、話しを通したと言うことがありました。そのお礼にこの作品を頂いたのですが、「おまえもエ○バに入らないか?」と勧誘されたので、交流を絶ったと言うエピソードがあります。その前に、私は、彼のアルバム ”Das Testament”(この作品もいずれ紹介します)を聴いて、衝撃を受けていたこともあって、彼に倣い、自分のノイズユニット名をイニシャルからK2と名乗るようになったと言う経緯もあります。それで、本作品ですが、彼はde-compositionと言う方法をしばしば使います。と言うのも、彼は宅録アーティストなので、自分の過去作にポスト・プロダクション(と言っても、深いエコー処理とか逆回転なんですが)を施し、新しい作品として作り直します。本作品もそのような手法で作られていると思いますが、イタリア語が読めないので判然としません。ただ、この作品を彼自身は「バイオ・ミュージック」と呼んでおり、1980年録音の”(Anatomico) Endometrio”サイド(解剖学的子宮内膜)と1981年録音の”(Fisiologico) Endometrio”サイド(生理学的子宮内膜)の長尺の2曲からなっています。いずれも深いエコーがかけられた茫漠としたシンセ音からなり、如何にもこの時期のM.B.節が炸裂しています。この時期は、彼のRe-createが始まった作風が多くなります。そんなM.B.初期の極私的インダストリアル・ノイズを是非とも体験して下さい。

A “Primo Ciclo (Anatomico) Endometrio (1980)” (23:10)
B “Secondo Ciclo (Fisiologico) Endometrio (1981)” (23:26)

A “Primo Ciclo (Anatomico) Endometrio (1980)”
https://youtu.be/s4vWKHDd9ko?si=u0rOhK2Yu6hagyoL

B “Secondo Ciclo (Fisiologico) Endometrio (1981)”
https://youtu.be/ldW4ocPVe28?si=flDNObo_ifW9NHwJ

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