私の見る夢
シンセサイザーに魅せられて出会ったのが「冨田勲」 冨田氏は学生時代から作曲活動を始め、その後NHK大河ドラマや「マイティジャック」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」などの特撮やアニメーション作品の音楽を数多く手がけました。 https://www.youtube.com/watch?v=664Wfc0Y7KA 1969年、氏はウォルター・カーロス(現在は性転換してウェンディ・カーロス)の「スイッチド・オン・バッハ」を聴いてシンセサイザーと出会います。 そしてMOOG III-Pを購入、試行錯誤を繰り返しながら創作活動に入っていきました。 https://www.youtube.com/watch?v=Tc51cnV6YJI 1973年頃にアルバム「月の光」を完成させますが、当時の日本のレコード会社は相手にしてくれなかったそうです。1974年に米RCAと契約し「Snowflakes Are Dancing」のタイトルでアメリカでリリースされた「月の光」は、ビルボード・クラシックチャートで第2位を獲得、75年のグラミー賞にノミネートされました。 1975年リリースの「展覧会の絵」はビルボード・クラシックチャート第1位を獲得。同75年リリースのストラヴィンスキーの「火の鳥」はジャケットを手塚治虫が担当し、ビルボード・クラシックチャートで第5位を記録。 1976年の「惑星」はビルボード・クラシックチャートで第1位。つづく78年に「宇宙幻想 -COSMOS-」と「バニューダ・トライアングル」をリリース、その後も精力的に創作活動おこなっていました。 https://muuseo.com/cosmic-ace/items/967 https://muuseo.com/cosmic-ace/items/968 シンセに興味を持ったace君、憧れの"冨田勲"に遂にご対面です。 第27回大阪国際フェスティバル〜シンセティック・コンサート『冨田勲の世界』 そのチケットを手に入れたace君、意気揚々と一路肥後橋の大阪フェスティバルホールを目指して、難波から地下鉄四ツ橋線に乗り込んだ1985年4月24日。 そのステージは、ロン・ヘイズの映像作品をバックにシンセブースで一人演奏を始める冨田勲 ビデオアートは単調でイマイチでしたが、氏の演奏は圧巻でした。初期のサウンドよりも少しデジタル化が進んではいるものの、電気信号による生しい演奏は素晴らしいものでした。単にオーケストレーションをモデリングしたりシミュレートするものではなく、楽器としてのみならず、システムが楽団として成立していました。 帰りの電車、夢見心地のace君。 その彼が見た夢は… #思い出 #参考 #ひっみつぅなのっ
negrita
2018/09/04凄い音のメリハリ!こちらはコスミックというより、スペイシーな迫力っ❗️
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ace
2018/09/04これはライブ凄かったですよ❗️😄
後半のウネリが強力です😆✨
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charlie0215
2018/09/04出てきましたね。
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ace
2018/09/04この独特のデザインの宇宙船もLPサイズがいいですね😊✨
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charlie0215
2018/09/04冨田勲 ワールドですね。
音楽と映像の拘りが出てます。
charlie0215
2018/09/04やりましたね。
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charlie0215
2018/09/04見せちゃいますか。
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