素晴らしすぎて息も出来ません~故宮(呼吸)博物院

初版 2024/02/01 14:47

改訂 2024/03/20 17:32

tomonakaazuさん、fanta さん、お待たせしました!(誰も待ってない?) 「1月中にアップ」と思って頑張ったのですが、日付が変わって2月になってしまい申し訳ありません🙇。

2019年、やって来ました台湾桃園空港。新千歳空港発のエバー航空です。およそ4時間のフライトですが、北海道は氷点下だったのに台北は25℃。台湾、暑い☀️。今回は「故宮博物院探訪」が旅の第一目標です!私は長らく故宮博物院の名宝を見たいと思っていましたが、運よく四連休を取ることが出来たため、すぐにチケットを取って訪れた次第です。

エバー航空ではサンリオキャラクターが使われており、機内の安全放送でも「くでたま」や「キティーちゃん」が案内してくれます。チケットもこの通り。

桃園空港内の素晴らしい壁の木彫。この空港を訪れたのは初めてですが、内装がとても美しいところでした。また昨年、チャイナエアラインのラウンジの居心地が大変良いことも知りました。

到着後、ホテルに向かう前に空港内で台湾名物のうな丼を食べました。臭みもなく、ふわふわで美味しくいただきました。そのままホテルに直行し「グッスリト」にやられました(笑)。

12月の訪問でしたので、ホテルのロビーにはクリスマスツリーが置かれています。

博物院は台北の北にあります。ホテルは電車の駅のすぐ近く。電車で20分ほど揺られ、その後バスに乗って午前10時に故宮博物院に到着しました。

故宮博物院の歴史は、清の滅亡に始まります。中華民国は、清朝最後の皇帝・溥儀を紫禁城から追放し、1925年に紫禁城を故宮博物院とします。人々は歴代皇室と宮廷が所蔵していた貴重な文物を見ることが可能になり、また博物院は中華の文化遺産を末永く後世に伝える施設になりました。しかし、1937年には盧溝橋事件から日中戦争が勃発。戦火を逃れるために博物院の文物は避難を余儀なくされ、重慶、明、楽山をめぐり、四川省南渓の李荘に安置されます。1945年、第二次世界大戦が終結すると、奥地に移されていた文物は南京へと運ばれました。1948年、蒋介石率いる国民党中央政府は、故宮博物院および中央博物院籌備処の文物を台湾へ移すことを決定します。台湾に運ばれたのは2972箱でしたが、これらは北京から南遷した文物の22%に過ぎませんでした。しばらく宝物は倉庫に保存されていたのですが、1965年11月12日、台湾の故宮博物院が完成し、翌13日一般公開されました。たしかこのあたりのお話はNHK特集でやっていた記憶があります。

マップは上のようになりますが、とにかくめちゃくちゃに広いです。東博本館が6-7館ある感じです。入口の門をくぐったあと階段を上がっていきます。ハードな一日になりそうです。それでは館内にレッツゴー!

まずは皆さんご存知のこちら、世界一有名な白菜『翠玉白菜(すいぎょくはくさい)』。白色と翡翠の緑色を併せ持つ一塊の天然石から彫られた作品で、故宮博物院の中でも最も人気の高い作品です。玉を作品に仕上げるには高い技量と長い時間を要するため、「量材就質」という素材本来の色合いと形に沿って玉器を設計する創作方法が生まれました。その代表選手がこの「翠玉白菜」と「肉形石」です。(肉形石は残念ながら他所に貸し出し中で見られませんでした)

つやつやでみずみずしい白菜の質感が見事に表現されています。

白菜は「潔白」、葉の上のキリギリスとイナゴは「多産」を表し、美徳と幸せの祈りが込められた「嫁入り道具」として作られました。

香木である「沈香」は薬としても使われますが、このように沈香を用いた彫刻作品も作られています。

「金甌永固杯」 清 乾隆帝期(1736~1796) まるで馬上杯のようです。

「玉燭長調燭台」 清乾隆帝期(1736~1796) 乾隆帝は古玉のコレクションにも熱心で、良渚文化の玉璧、古蜀文化の玉璋など初期の玉礼器は宮中に収められていたそうです。

「画珐琅宝相花纹香薰」 清代

七宝の透かし彫りが繊細です。色もきれいですね。

翡翠の器。作品名、時代恥ずかしながら失念しました🙇。

美しい装飾品の数々。

本日の閉館時間は20時なので、ここらで一休み。博物院の敷地内にある中華料理店「故宮晶華」で早めの夕食を取りました。

天井の高い明るい店内。

蒸し餃子、八宝菜などをいただきました。(他の料理をほとんど食べてしまってから、写真を撮っていないことに気付きました)

このレストランでは肉形石、翠玉白菜を模した料理も提供していますが、今回は私達は注文しませんでした。

店を出ると真っ暗になっていました。ここから青銅器を見て回ります。私は根津美術館と白鶴美術館で、少しだけ青銅器を見たことがあるだけのほぼ初心者🔰。青銅器を見てわかるかな?

「召卣(しょうゆう)」 西周早期 紀元前11~10世紀。「卣」はつる付きの小ぶりの酒つぼです。古代中国の青銅器は元々神様に捧げるために作られたものでした。特に技法で有名なのが「饕餮文(とうてつもん)」と呼ばれる文様です。「饕餮」というのは中国で古代にいたと考えられていた怪物のことです。中央には大きな目。鼻筋から額にかけてヒラヒラしているのが、「箆型飾り文」と呼ばれて、ここから気が発せられると考えられました。

「何尊(かそん)」 西周成王時代(紀元前11世紀)銅尊。「尊」は祭祀に使う最も貴重な酒とされた黒キビの酒(秬鬯(きよちよう)を入れる肩のある酒器。「何尊」とは「何」という貴族がつくらせたのでこう呼ばれているそうです。外観、装飾が非常に複雑です。

「 雙龍紋簋(そうりゅうもんき)」 西周早期(紀元前11-10世紀) 「簋」は穀物をいれる容器。小さな口に膨らんだ胴、獣の頭の半分の耳が垂れ下がっています。雙龍の体は胴に巻かれ、蓋を閉めると龍の頭と龍の体は完全な姿になります。 この器の内側の底には、「左宝毅」の3文字が刻まれています。

「乃孫作祖己鼎」 殷後期 「鼎(てい)」はもともと料理に用いられた器で、同館の500文字以上の銘のある「毛公鼎(もうこうてい)」も有名です。こちらは高さ81センチの大型の青銅器です。表面に「饕餮紋」が施されています。

中国の青銅器時代は夏の晩期(約紀元前17世紀初)から始まり、殷・西周・東周を経て、前後一千五百年ほど続きました。秦・漢以後は、鉄器が使用されるようになりましたが、銅器はやはり従来のしきたりのまま使われ、変わることはありませんでした。以下受け売り。

 当時、貴重な青銅器は貴族のみ、使うことができました。所謂、「国の大事は祀と戎に在り」なのです。青銅は兵器や楽器のほかは、主に祭祀用の容器に鋳造され、供物を入れて祖先を祭り、家族の末永い繁栄を祈りました。また、祭祀を行う際に置かれる礼器の数の多さが、貴族の身分と階級を象徴したのです。銅器は殷・周の貴族社会の中で最も重要な礼器だったのです。
 殷・周の時代(1600-221B.C.E)は、中華文化を確立する重要な時代でした。政治面では、政教一致により、礼教と人文意識に目覚めました。物質面では、青銅鋳造の発達により、礼器・兵器用の新紀元が切り開かれ、また工芸技術の突破は、様々な産業の興隆を促しました。精神面では、国の大事である「祀」と「戎」について、銅器の形を通して、神や祖先に対する畏敬の念と心霊との疎通を託しました。また「銘文」を刻み、当時の祭饗、征伐、恩賞、冊命などの情況を記録しました。
 青銅文明は鐘・鼎・彝器の「礼と楽」でほめ讃えられ、功をなしとげ祖先を祭る「祀と戎」で賞賛されました。周人が鋳造し紀銘した「其命維新」および「郁郁周文」には、東周の絢爛と賑わう新段階から、秦・漢の統一に至るまで、銅器は次第に礼制の中心から退いてはいくものの、むしろ一種の典型的なものへと転化し、更に深層な思想や文化の薀蓄も加わり、中華文化の美は、この一つ一つの器物の間にあって、広大且つ精緻を尽くし、きわめて高明に中庸を語っているのです。

『人足獣鋬匜』 西周晩期(紀元前8-9世紀) 「匜(い)」というのは注ぎ口のある楕円形の器体に「架空の動物の首」をかたどった把手があり、四本の脚があります。身と口の下縁には変形した動物文様からなる屈曲文様、胴部には牌文様が施されています。この脚は人の場合もありますが、龍や鳳凰のような動物であることが多いようです。「手を清めるための器」だそうですが、まるでレストランで出てくるステーキソース、あるいはカレールーを掛ける容器に見えます。古代中国では大切な儀式や食事の前には必ず手を洗いました。

4本の脚の人物はアフリカの民芸を思わせます。

取っ手部分の架空の動物。中の水を一心不乱に飲んでいるような姿がユーモラスです。

まだ青銅器作品はあるのですが、すでに入館から8時間、閉館が迫ってきています。

「青花朶蓮梵文勺」 明永楽年製(1403-1424年) 外側は青花の花が飾られ、内側には梵字が書かれており、その周りを小さいものから大きいものまで5周の梵字の円で囲み、柄の部分に横3列の梵字が並んでいます。清朝の乾隆年間に紅白檀のガチョウの形をした受け台が作られました。どう見ても高級なレンゲのよう。あー、ラーメン食べたい❗

持って帰りたいくらいかわいい印章。

翡翠の原石。こんな石から白菜に似つかわしい部分を探すとは凄いです!

昭和天皇の元にあったという翡翠の屏風です。戦後、台湾に返還されました。48枚の翡翠で作られており、両面に全く同じ彫刻が施されています。これは"裏表がない"ということから"誠実さ"を表現しているそうです。

表と裏で同じ繊細な彫りが施されています。本当にキレイな緑色ですね。

「翡翠雕花鳥瓶」 高さ約40cmの大きな翡翠の器。日中戦争中に中華民国から日本に贈られ、戦後に返還されたものです。梅の木の先から雲がのぼり、その合間に月が見え隠れする風情ある景色になっています。この細い梅木はいったいどんな技術を用いれば、こんなふうに折れることもなく仕上げられるのでしょうか。両耳には霊芝を、蓋上には鳥をあしらい、器胎も美しいです。

漢時代の「金印」の親戚たち。

「粉彩蟠桃天球瓶」 清代 乾隆年製(1736-1795) 器全体に桃の花と桃の実が美しく描かれています。 桃のピンク色が鮮やかです。 胴の部分にボリュームがあって安定感がありますね。高台裏には白地に青文字で「大清乾隆年製」の三行篆刻があります

「青花四季花弁紋蓮子碗」 明 永楽年製(1403-1424)

「玉辟邪(ぎょくへきじゃ)」 後漢(25~220) この獅子や虎に似た「玉辟邪」は雄々しく堂々としています。この獅子の背中には小さいですが翼があります。このような神獣のイメージは、おそらく西アジアから伝わってきたと考えられています。邪悪なものを追い払ってくれるのが「辟邪」だそうです。

書画に至っては体力も続かず、スマホのバッテリーまで無くなって記録に至っていませんが、書では顔真卿の「祭姪文稿」が特に素晴らしかったです。勢いのある筆致で空海を彷彿とさせました。博物館を出たのは午後8時半。当初から時間が足りないだろうと思っていましたが、足りないどころの話ではありませんでした(笑)。以上、誠に情けないレポートでしたがご容赦下さい。是非また行ってみたーい!!

1990年3月に行ったロンドンで、初めてエドワードグリーンのドーバーを購入しました。以来、ここの靴の虜になりました。質の良いしっとりとしたカーフ、美しい木型、無い物ねだりと分かりながら、この時代のエドワードグリーンの靴を今も追い求めてしまいます。
他に古い靴も修理して履いています。特に戦前の英国靴は素晴らしいと実感しています。

Default
  • File

    レイレイ

    2024/02/01 - 編集済み

    翠玉白菜、私も箱根で見ました~。
    レンゲ、何やら呪文の様でちと怖いですねw。

    返信する
    • File

      グリーン参る

      2024/02/01

      箱根にも来てきたんですね。明治工芸とタイマン張る感じがいいです❗

      レンゲの「耳なし芳一」でしょうか。

      返信する
    • File

      レイレイ

      2024/02/01

      同じものではないのかもしれません😅が白菜でした☝️

      返信する
  • File

    fanta

    2024/02/01 - 編集済み

    グリーン参るさん、ありがとうございます♪
    まずはすごいお宝の数々…
    この博物館をお目当てに、台湾行ってもgoodでしょうね😁噂には聞く、乾隆帝の宝物といい…
    どれも、ため息の出るほどのレベルですね。
    そしてゆっくり見たいのに時間なくなりそーで😅

    青銅器…
    やはりこの“宇宙船”みたいな逸品!
    いいですね~笑
    私も青銅器ネタ上げるの、楽しみになりました。

    翠玉白菜🥬
    玉器…というジャンルも中国のお宝にありますが、どれも素晴らしいんだろうなぁ~。

    自分の興味は陶磁器や青銅器だったりしますが、
    玉器の文化も中国らしく思います。
    明治の超絶技巧で、象牙に細工品というのがありましたが。やはり、中国は大先輩という感じがしますワ。

    この膨大なお宝を知るだけでも、
    テーマ分けないとついていけませんですね💦
    これからもゆっくり読ませていただきます😊

    返信する
    • File

      グリーン参る

      2024/02/01

      fantaさん
      台湾行きの便はかなりお手頃ですし、故宮に行って小籠包食べて帰って来るだけで十分充実した旅になると思います😄。

      雙龍紋簋、一度見たら忘れられませんよね。今回は不勉強なまま鑑賞することになりましたが、基礎知識を学んでから見ていたら全く違う印象になったと思います。泉屋博古館の図録も入手したので次回を楽しみにしています。

      象牙細工、牙彫ですね。翠玉白菜に負けていません❗これが象牙とは誰がわかるでしょうか。

      File
      返信する
    • File

      fanta

      2024/02/01

      えーー👀
      バナナにパイナップル🍍🍌
      見事すぎるww
      私が見たのは柿やタケノコでした♪

      泉屋博古カタログのご感想も、いつかお聞きしてみたいです😁
      にしても“桃天球瓶”美しい~~あっちこっち話題が飛んですいません;

      返信する
    • File

      グリーン参る

      2024/02/02 - 編集済み

      このパイナップルはfantaさんがご覧になったタケノコと同じ作者安藤緑山です。

      桃天球瓶は形も素晴らしいですね。

      https://youtu.be/UoVGpqw_aHo?si=GKiH5iYtmfabY9Fi

      File
      返信する
  • File

    tomonakaazu

    2024/02/02 - 編集済み

    グリーン参るさん♡素晴らしい訪問記をありがとうございます!楽しく拝読しました。わたしが訪れたのは2011年だったのですが、展示品の配置フロアプランはほぼ同じだったと思います。半日では到底見切れず翡翠の部屋は行かなかったので白菜は知りませんでした。。レンゲ!覚えています。動物の乗った印章も!!陶磁器も、アップされているの素晴らしいものばかりです♪

    そして青銅器。実は茫洋としか覚えていなくて、こうやって拝見できて嬉しいです♡殷代の器の持つ存在感は、続く時代のものから突出していますねー。眼福です😊

    返信する
    • File

      グリーン参る

      2024/02/02

      tomonakaazuさん
      あの広さ、作品の収蔵量からは、相当綿密なプランを立てないと途中で脱落してしまいますよね。私もこの博物館の白眉「雕象牙透花雲龍紋套球」を見逃しました。何という事!

      https://youtu.be/T8QIW7WgynU?si=WkRmbiT11wMhrr_E

      返信する
  • File

    グリーン参る

    2024/03/20

    帰りに飲んだタピオカミルクティーが絶品でした❗茹で加減が素晴らしいです。

    File
    返信する