ジュラルミンと飛行船@昭和初期の中等教育用理科図解参考書

0

中学校・師範学校でおこなわれる5年制の中等教育では、昭和6年度(1931年度)より実施された改正中學校令施行規則により大幅な教科の変更があったが、それまでの「博物」「物理」「化學」に加えて「一般理科」「應用理科」を設け、ひっくるめて「理科」という科目になった。最終学年におかれた応用理科では、それまで学んできた理科知識と実際の世の中のあれこれとのかかわりをより具体的につかむことに主眼がおかれていたようだが、その理解をたすけるために編まれた図解参考書のなかから、合金のひとつジュラルミンのところを今回はみてみることにしよう。

軽くて引っ張り強度のたかいアルミニウム合金は今日でも航空機を造るのにかかせない材料だが、その最初のものは明治39年(1906年)ドイツで生まれた、アルミニウム・銅・マンガン合金にマグネシウムをちょこっと加えて焼き入れしたものだった。加熱処理をしてから時間をおくと強度が格段に増す「時効硬化」が、たまたま実験途中に週末がはさまったために発見されたのだそうだが、この合金がまず実用されたのが同国のフォン・ツェッペリン伯が19世紀末に考案し、自ら会社を立ち上げて明治33年(1900年)に第1号機を造った新しい乗りもの・飛行船の機体だった。当初は鉄骨で組み立てる考えだったのが、軽量化をはかるためアルミニウム材を用いる方針に切り換え、その時に最も強度のあった亜鉛アルミニウム合金を使ったという。それよりもすぐれた材質である自国の技術者による特許ジュラルミンに早速跳びついたのは自然なことだったろう。なお、ジュラルミンの語源はフランス語の「かたい」を意味する「Dur-」を冠した、という話は意外だが、これは国際展開を見据えてのことだった、ときけばなるほどと納得がいく。
https://www.uacj.co.jp/review/uacj/vol4no1/pdf/vol4no1_15.pdf

ジュラルミンは明治44年(1911年)からイギリスでも生産がはじまり、また第一次欧州大戦中の大正5年(1916年)にはドイツ軍の飛行船が同国内で撃墜され、以降その残骸を参考に日本を含む各国で飛行船の製造がはじまった。一方ドイツではその翌年大正6年(1917年)から飛行機の材料としてもジュラルミンが使われはじめた。この本が出た前年の昭和12年(1937年)には、アメリカに寄港中のヒンデンブルク号の有名な事故が起き、それからいくらもしないうちにドイツの飛行船はすべて解体されて飛行機の材料になってしまったというから、ここに書かれている内容は早くもやや時代遅れ、ということになってしまいそうだが、そんなことはさておいてこの飛行船内部を描いた図版イラストが文句なくかっこいいのだ。大正〜昭和初期の教科書などにも飛行船の機体の図はときどき載っているが、内部の様子がわかるものは多くない。それに、これもジュラルミンを使っているらしい巨大な格納庫に収まっているところ(3、4枚目)や、その内部で骨組みの組み立てをおこなっている場面の図(5枚目の下、7枚目)はほかには目にしたことがないようにおもう。その上の図版(5枚目の上、6枚目)にはキャプションがないが、これは操縦席部分だろうか。

なお、8枚目の丸いのはジュラルミンの球ではなくて、合金の顕微鏡写真を模写したもののようだ。熱加工の過程で粒子の状態が大きく変わっているのがわかる。

Default