Adam and the Ants “Kings of the Wild Frontier”

0

まあまあまあ、このバンドは一面、産業ロックでもあった訳ですが、ダブル・ドラムと海賊ファッションで1980年頃、絶大なる人気を誇った訳です。その名はAdam and the Antsです。結成当初は単なるパンクバンドとの認識で、私は無視してましたが、その内、人気が出て、来日し、オマケに「夜のヒットスタジオ」にまで出てましたね。それでは、彼等のバイオグラフィーをちょっと。Adam Antは元々、パブロック・バンドBazooka Joeでベースを弾いていましたが、Sex Pistolsの前座をやって直ぐに解散しています。それで、彼は新バンドを作ろうとしていた時に、Malcolm McLarenとVivian Westwoodのお店SEXの従業員Jordanと仲良くなり、ロンドンのパンク・シーンに魅せられていきます。1977年初頭にThe Antsを結成します。その時のメンツは、Lester Square (G), Andy Warren (B), Paul Flannagan (Drs)でしたが、最初のギグが終わった時に、Lester Squareが脱退します(因みに彼はその後、The Monochrome Setを結成しています)。その代わりにMark Ryan (G)が加入し、コンスタントにライブをやっていきます。しかし、6月にPaul Flannsganが脱退し、代わりにDave 'Barbe' Barbarossaがドラムで加入。このメンツで 、"Plastic Surgery"と"Beat My Guest"を録音。またAdamは有名なパンクロック映画”Jubilee”にKid役で出演。この年の終わり頃、Markが辞めて、代わりにJohnny Bivouac (G)で加入し、バンド名もAdam and the Antとします。バンドは何度も全英ツアーをやっていきますが、一部のAntPeopleと言うファン以外には余り人気が無かったようで、中々芽が出ませんでした。1978年にDeccaと契約します。1978年1月23日にJohn PeelのRadio 1でラジオ・デビューをしています。そこではJordanがリードVoをとっている曲もあります。1978年5月15日に、Jordanの最後のライブをやりますが、Johnny Bivouacが脱退、代わりにMatthew Ashman (G)で直ぐに加入します。その年の7月末に2枚のシングルを出すと、今度はDeccaと契約します。その時のメンツは、Adam Ant (Vo, G), Matthew Ashman (G), Andy Warren (B), Dave Barbe (Drs)でした。欧州ツアーを行い、戻ってきて、直ぐにレコーディングに入り、1979年1月にDeccaから”Young Parisians”をリリースしますが、経済的に成功とは言えなかったようです。その後、今度は、バンドはDo It Recordsと言うインディー・レーベルと契約。セカンド・シングル”Zerox”を録音し直し、1979年7月にリリースします。全英ツアーを行い、8月のLondon Lyceumでのチケットは完売しています。それで、Adamは、Matthew AshmanとAndy Warrenをクビにしますが、Lee Gorman (B)が新加入、Matthewも直ぐに戻ります。そうやって録音作業を続けて、彼等のファースト・アルバム”Dirk Wears White Sox”が1979年にDo It Recordsからリリースされます。これが意外にもウケて、1980年1月初めの英国インディー・チャートのトップにも躍り出ます。しかしながら、マネージャーをやっていたMalcolm McLarenがBow Wow Wowに力を入れる為に、1980年1月終わりに、バンドからAdam以外のメンバー3人を引き抜きます。しかしながら、Adamは、数ヶ月で、新メンバーを集めてきます。 Marco Pirroni (G), Kevin Mooney (B), Terry Lee Miall (Drs), Chris 'Merrick' Hughes (Drs)となります。マネージャーも替えて、Falcon Stuartがマネージャーとなります。最初、AdamとMarcoはファースト・アルバムの曲”Cartrouble Pt.2”をDo It Recordsの為に録音し直します。その時には、後にCulture Clubに入るドラムのJon Mossが参加しています。その後、1980年7月には、バンドはCBSと契約し、シングル"Kings of the Wild Frontier"をリリース、これが当たり、英国チャートの48位になります。次のシングル”Dog Eat Dog”はトップ10になり、英国の音楽番組Top of the Popsにも出演しています。そして、1980年11月にアルバム”Kings of the Wild Frontier”をリリース、英国ではヒットします。これが本作品になります。この時代にはニューロマンティックスが流行っており、それに乗っかった感じで、1981年1月には英国では1位になります!1981年2月には、Royal Variety Showで演奏していますが、ベースのKevin Mooneyがちょっとしたミスを犯した為、クビになり、代わっGary Tibbsがベースで加入します。バンドは昔の曲をアレンジし直して、シングルなどをその後もリリースして、チャートインしています。そして1982年初頭に本作品がベストアルバムとしてBRIT賞を受賞。更にはグラミー賞の最高新人賞にノミネートされています。しかしながら、Adamは、あるメンバーに最早熱意が無くなっていると感じて、1982年3月にバンドを解散させます。加えて、相棒のMarcoがツアーで疲労困憊しており、ライブもやめていたこともあって、解散後は、Adamはソロ活動に開始し、Marcoがそれを裏で支えていたみたいです。ザッとまあ、Adam and the Antsの歴史はこんな感じです。
それで本作品(彼等のセカンド・アルバムにして、最も評価された作品)ですが、流石に良く出来ています。シングルカットされた”Dog Eat Dog”や”Antmusic” “Kings of the Wild Frontier”では、ドコドコしたダブルドラムの強みが充分に出ており、なおかつ曲自体も良く出来ています。またそれ以外にも”Feed Me To The Lions”, “Jolly Roger”なんかも良い曲ですね。普通の8ビートでもなく、ファンキーだけどもファンクではないリズム・セッションが秀逸です。それとVoのAdamこの声質が、ちょっと高目で、それでも煽る様な歌唱ではなく、どちらかと言うと、クリーントーンで歌い上げる感じなのても特徴的ですね。なので、彼はパンクバンドにいるよりは、ニューウェーブとかにいた方がウケがいいでしょう。そんな売れっ子だったAdam and the Antsも、一回は聴いてみた方がいいでしょう。

https://youtu.be/vIfQQ4YPTXA

#AdamAndTheAnts #KingsOfTheWildFrontiers #Epic #DoubleDrums #PiratesFashion #AntMusic #AdamAnt #MarcoPirroni #BRITWard #Punk #NewWave #PostPunk

Default