P-MODEL “In A Model Room”

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P-MODELはショッキング・ピンク、いやテクノ・パンクであった。そのP-MODELのファースト・アルバムを何故か速攻で購入。お陰でピンク盤をゲットできました。この時点では、私は田舎の高校生だったので、彼らの前身がプログレ・バンドMandrakeだったことなぞ知りませんでした。ただただパンクの疾走感とシンセのピコ音が痺れたのでした。それこそ当時はヘビロテして聴いてました。メンバーは平沢進 (Vo, G, Synth), 田中靖美 (Organ, Synth, Back-Vo), 秋山勝彦 (B, Synth, Back-Vo), 田井中 貞利 (Dr)で、皆さん、それぞれ、シンセ教室の講師、塾の数学の講師、受験生、建築関係の測量士と言う顔を持っていました。1979年1月1日にMandrakeを解散、即P-Model結成。工業製品の型番の様なバンド名と「俺たちは歴史に名を残すんじゃない、消費されてくバンドだ」との表明で、プログレから振り戻しにより、独自のテクノ・パンクを演奏し始めたのです。何でもGeorge Orwellの小説「1984」を下敷きにして作られたアルバムと言われています。確かに近未来で抑圧される者のあがきや批判の様な歌詞の内容になっています。兎に角、単純で直接的な批判の歌詞でしたが、その破壊力は凄いですね。また、演奏も比較的単純なコード進行なのですが、シンセやオルガンがそれを補っているので、ミニマルとして聴くことも可です。それに、こんなオルガン(多分YAMAHAのYC-10)の弾き方やシンセのピコ音を使い方は、如何にもテクノ・ポップ的ですね。それで、この頃はシンセが黒く仰々しいとの理由で、カラフルな色に塗られていましたし、メンバーもカラフルな衣装を着ていました。また、この頃はテクノ御三家(P-MODEL、ヒカシュー、Plastics)と一つとしてテクノ・ポップの一翼を担っていました。なので、個人的にはできる限りこれらのバンドのアルバムは買ってました(恥)。それと、このアルバムはP-MODELと佐久間正英(四人囃子、Plastics)の共同プロデュースなんです。この頃のお気に入りは”ヘルス・エンジェル”、”子供達どうも”、”サンシャイン・シティ”が好きでしたが、”ソフイストケーティド”や”偉大なる頭脳”や”アート・ブラインド”の妙チクリンな曲(前者はミニマル、後者は変拍子、更にシンセによる実験ポップ)にも興味を持っていました。また、この頃、XTCやVan Halen(!)の前座もやっています。そんなヤンチャなP-MODELはどうでしょう?(因みに、私は”アート・ブラインド”の様な曲を、放送部の友人に頼んでカセットデッキ2台こっそり使ってピンポン録音しました。それをラジオのオーディション番組に送ったら、めでたく入賞しましたw でも受験だったので収録した内容は聞けませんでしたwww)

https://youtu.be/iJ88MRzC4mQ

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