何を賭けるのか、何を残すのか
地球の周りには巨大なスペースコロニーが浮かび、人類の半数が宇宙生活者となった宇宙世紀0079。 サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。開戦当初の一ヶ月あまりの戦いののち、戦争は膠着状態に陥る... その八ヶ月後、ジオン公国のシャア少佐麾下の巡洋艦がサイド7の空域にあった。 レーダーなどの電波兵器を無力にする"ミノフスキー粒子"が実用化されたために、宇宙空間でも接近戦が行われるようになった。その接近戦用に開発された人型の兵器を"モビルスーツ"という。地球連邦軍はこの開発に遅れ、ようやくジオン公国のザクに対抗しうるモビルスーツを完成させつつあった。 サイド7に移民していた軍事技術者の子アムロ・レイは、偶然のことからこの新型モビルスーツ"ガンダム"のコクピットに座ることとなった。 総人口の半数が死んだこのとき、連邦・ジオン双方の軍の組織は亡きに等しく年端もいかぬ少年少女達が戦場に駆り出されていった。 人の革新たる新しい人="ニュータイプ"の出現を待つのは、戦いに疲れた人々の願望であった。しかし時代の期待とは裏腹に、ホワイトベースのクルーがジオン公国の末子ガルマ・ザビの攻撃を払いのけたのは、ただ、生き延びたいが為であった。 その戦いの中、アムロ・レイは急速に戦士としての練度を高めていく。 哀戦士編の冒頭ナレーションは前作のおさらいを兼ねており、三作中もっとも長くなっています。 本編前半は、ランバ・ラル隊との戦いを中心にアムロの心の成長を描きます。 青年の手前にいる少年の、未熟ゆえに実力を生かしきれないもどかしさや周囲に認められない歯痒さが伝わってきます。 「僕がガンダムを一番上手く使えるんだ!」 このセリフは決して"強がり"だけではなありません。"そこが自分の居場所なんだ"という叫びもあると思います。 そしてラルのこのセリフ、 「そのモビルスーツの性能のおかげだということを忘れるな!」 明らかに"負け惜しみ"です。起死回生を賭けたガルマの仇討ち。実力と経験がある自分が新型モビルスーツで挑めば勝機があるとみていたが、いざ手合わせしていくとモビルスーツの性能もさることながらパイロットの能力の高さにも圧倒されていく。そしてそのパイロットは街で出会った少年兵... そこに世代交代を感じたなら、このセリフの裏には父性もあったのではと思うのです。そしてアムロも「負け惜しみを!」と言いながら、そこにまた擬似的な親子愛を感じていたと考えられます。 そのランバ・ラル隊には悲哀が漂います。同じジオン軍でありながら、出自と麾下の違いから冷遇されるランバ・ラル。結局受領できたのは使い古したザクが一機。グフを失った後は補給を受けられず、ホワイトベースに肉弾戦を挑んでいく... ランバ・ラル隊の玉砕を目の当たりにし、さらにマチルダさんやリュウ・ホセイを失ったホワイトベース。オデッサ作戦が終了したとき、あらためて戦争の狂気に涙するクルー達。 後半は、カイ・シデンがクローズアップされます。傍観者からリアルに狂気を見つめるキャラクターへ成長するカイ。その要因の一つがベルファストでのエピソードだと思います。オデッサ作戦後、戦いに辟易した彼はホワイトベースを降りる決意をします。しかし一人になって自分を見つめ直したとき、戦争から目を背けてはいけないと思うのと同時にホワイトベースが自分の居場所だと再認識するのでした。そんなとき出会った少女ミハル・ラトキエは、ジオンのスパイでありながら砲火のなかで自分達だけが助かるのはおかしいと叫ぶ。ミハルと幼い兄弟のような戦災孤児が生まれ、さらに彼らがその戦争自体に利用(スパイ活動)されているという事実は、彼をより戦争に正面から向き合えるようしていったと感じます。 ラストシークエンスは、連邦軍基地ジャブロー攻略作戦。 この時、ホワイトベース隊にもう迷いはありません。 "死にゆく男たちは 守るべき女たちに 死にゆく女たちは 愛する男たちへ 何を賭けるのか 何を残すのか I pray, pray to bring near the New Day..." 次の作戦のため発進するホワイトベースと、それを追うシャア・アズナブル。 つづく戦いの舞台は宇宙へ... https://m.youtube.com/watch?v=rco57H0zWI0 #参考 #考察 #思い出 #なんかスミマセン