バーンスタイン VPO の シベリウス交響曲第2番    ”魂を揺さぶるもの”

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シベリウス/交響曲第2番ニ長調OP.43

第1楽章 アレグレット
第2楽章 テンポ アンダンテ マ ルバート 
第3楽章 ヴィヴァーティッシモ-アタッカ:
第4楽章 フィナーレ:アレグロ モデラート

指揮:レナード バーンスタイン
オケ:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
1986年10月 ウィーン ムジークフェラインザール(ライブレコーディング)

数多くの古くからの音楽作品の中には、感動を与えてくれるものは数知れない。
音楽の力はボクらの矮小な脳髄の様々な部分につながっていて、耳から与えられた呪文に感性を反応させる。
中でも理知的なアナリーゼをすっとばして、ダイレクトに感性に訴えるものがある。原初の魂を揺さぶるもの。
芸術家の繊細な感性を通過してなお、原初のエネルギーを保ち続けるシンフォニー。
渦巻くような生命力の螺旋を描きながら、自由に生きることへの解放を謳いあげる。

高みにいるものへの限りない憧れと浄化を音楽のピークにもつ、グスタフ・マーラーの饒舌的な第2番終楽章。

その数限りない音符をきわめてシンプルな言葉で語ったモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス。

それらの天を見つめる方向とは全く違う、水平的な視線を沸き上がらせる、この人間的なドラマ。

シベリウスの第2交響曲の終楽章。
そこでボクが否応なしに感じる鳥肌が立つような臨場の感動は、かつてオッコ・カムがヘルシンキフィルを率いて日本でシベリウス・チクルスを行ったときからだった。
アナログレコードの時代からこの曲が好きだった。
分かりやすく、感動的である。それは、分かりやすく、感動的なものが好きなボクの趣味の裏返しでもあったのだけれど、そのコンサートの素朴でシンプルで、人間の魂の奥底にわけの分からない火を付ける扇動的な音楽の感動は以後のこの曲のイメージは深々とボクのシンプルな魂に入り込み、全身を浸した。

今聴いているのはいつもボクが愛聴しているSIRバルビローリの指揮するハルレ管弦楽団のものではなく、このバーンスタインが晩年ウィーンフィルと録音したおっそろしくゆったりと時間を使った演奏です。

彼の演奏もまたパトスの音楽家らしく、終楽章のフィナーレに集約されている。
そこに持ってゆくアレグロ モデラートのアンダンテのような強い歩みを維持するためには少しずつ少しずつと…一息二息とテンポを遅く始める。
それでこその終楽章の重い螺旋が練り上げられる。
低音弦楽器の渦巻く生命力の中で金管が螺旋の中を上昇してゆく。
そこに弦楽の総奏が被さり、物理的に感じられるほど心をひっ掴まれる。
音楽の力が裸で感じられる数少ない曲です。
ストラヴィンスキーのような音のエネルギーから生まれるものではなく、シベリウスは旋律からその力を引き出してくる。
そこに至る道筋をバーンスタインは執拗に引き延ばしつつ肥大させる。
爆発するのではなく、低温のまま燃えてゆく。
ライブレコーディングで生きてくるこの指揮者のパトスの真骨頂

感動的です。

紹介は全曲ですが、せめて終楽章だけでもお聴きあれ (とても長いと感じる方はせめて34分20秒あたりから)

https://youtu.be/YupNxRLRMA0?si=EwlgcOmKJjqWlrKE

タイミングを無視したCMはまあ、無視しましょうや。

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    woodstein

    2024/03/23

     バルビローリ=ハレ管の演奏は私も好きです。というよりも、バルビローリの芸風は好みですね。クラシック音楽を聴くことを楽しくしてくれている演奏が多い。

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