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モーツアルト 弦楽四重奏曲第14番・第15番 ウイーンアルバンベルク弦楽四重奏団
モーツアルト/弦楽四重奏曲第14番ト長調.387『春』 第1楽章 アレグロ ヴィヴァーチェ アッサイ 第2楽章 メヌエット:アレグロ 第3楽章 アンダンテ・カンタービレ 第4楽章 モルト アレグロ モーツアルト/弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421 第1楽章 アレグロ・モデラート 第2楽章 アンダンテ 第3楽章 メヌエット:アレグレット-トリオ 第4楽章 アレグレット・マ・ノン・トロッポ ウィーン音楽大学の4人の教授たちが集まって結成されたアルバンベルクSQのモーツアルトは単発のアナログレコードを足立区の公文図書館で借りてきてカセットにダビングして聴いていた。CDはずっと後からだったと記憶している。 ベートーヴェン以前の形式として弦楽四重奏曲を完成させたのはハイドンだけれど、モーツァルトはそれを受け継ぎ、さらに独自の実験的創造をこの分野で追求している。 彼のこの曲の自筆譜にはあまり彼には見られない多くの書き直しの跡があり、モーツアルトの産みの苦しみを珍しくも見ることが出来る。 根源はハイドンに求め、彼はその完成者に敬意を表し、第14番からスタートとした6曲をハイドンに捧げた。 世に言う『ハイドン・セット』である。 アルバンベルクSQは現代的な美意識の中に特有の優雅さがあって、初期のラサールSQのようなシャープさを薄絹に包んだ頂な音楽の流れがいい。 曲自体への個人的な諸々はLabに書きたい。
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Blog Cats-20 Macaron (マカロン)
マカロンといえば例のパリ風のマカロン・ムーを思い出す。 マカロン自体の歴史は古くてフランスでは13世紀当たりから作られているローカリティのあるお菓子です。 十数年前お菓子職人という名称がパティシエという名に入れ代わった感じがする日本ではローカリティとは無縁の流行り方でした。昔のティラミスとおんなじですね。 某ブログで昔拝見して書いたのですが、このタイプの牛柄さんには『他人の空似』(猫だけど)が非常に多い。ハチワレでちょっと小さい。 モデルに使った写真は陽の光が強くて細部がぼやけてしまっていましたが、そこが手描きの臨機応変。 適当に他の写真の色合いを眺めながら適当に… 目の色が写真によって違うので土壇場で修正した思い出があります。。 昔ながらの金魚鉢を端座して覗き込んでいる絵が浮かんでくる、典型的な猫さんです。 原画 データ2011.5.5 5.57MB Tif 1228×1188Pix 350dpi シベリウス/ピアノ小品 花の組曲OP.85より金魚草 https://youtu.be/d9mn91gh_mM?si=ulXJi4b7rMPjNHba 余談ですが、この金魚草、花は可愛いですが、種子が入った部分は花が枯れるといや、ホラーですね。
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マイアサウラ 良い母親はホントにこんなだったろうか……………
Maiasaura(マイアサウラ)は中生代白亜紀後期の北アメリカ大陸に生息していた恐竜(鳥脚類 ハドロサウルス亜科に独自の属をつくる) 良母とかげと呼ばれ、巣をつくり子育てを行ったという痕跡が残っている最初の恐竜。 ただ、痕跡はなくても爬虫類には現代のワニのようにかなり母親の本能的な庇護行動を見られるものはたくさんある。そういう種族保存の本能は古の爬虫類から引き継がれたものだと想像するのは間違いではないと思う。 ただ、明確な子育てらしき痕跡が偶然この恐竜で発見されただけのことだと言ってもおかしくはない。それほど太古の化石とは発見自体が奇跡的なものなのだから。 この恐竜の巣は地熱を利用し、集めた枯れ草を現代の鳥類のツカツクリのように盛り上げ、発酵熱と地熱で卵を温めていたような痕跡があり、腹部に卵を温めるための体毛がなくても産みっぱなしで、卵がかえってからワニのように世話を焼いていたのかもしれない。どのような育児的行為を子育てと呼ぶかはよくわからないけれど、その後孵化した子供たちに餌を与えたのかどうかはもう想像の外はない。 だから巣の中に腐肉食性のシデムシ【死出虫】の類の昆虫の化石が発見され、『ホントに世話したんか?』てな反論も成り立ってくる。 ともかく、今でもマイアサウラを描くときはこのように親子セットで描かれているものが多い。 原画サイズ 4500×1624pix 20.4MB 350dpitifファイル 展示サイズ 1000pix (四分の1) pngファイル 作画 2024.6.16 ライセンス販売 Adobestock
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ほんの20分のナミマガシワ
ウォーキングに出ることはできるが、いつもの浜辺を通る頃には雨が降ってくる。寄り道せずに速歩の距離を延ばす、運動があくまでメイン。 久しぶりに午後まで晴れた。 浜に出ていたが海が荒れないので、石ころを拾うにはあまりにも砂が多くてダメ。結局打ち上げられた藻とか流木を蹴飛ばしながら貝殻でも……とその辺を見渡すと。20分でこの成果。ほとんどが薄い半透明の底蓋がついており、それを剥がしながら持ち帰って洗い天日で干した。 ……………まあ、サボテンを植えている素焼きの鉢にくっつけるかな。 見渡すと拾った場所は3メートル四方くらいだね。あるところにはあるもんだ。
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Blog Cats-14 Thavasa
Blog Cats-14 タバサ メインクーン種のタバサママ ブログの方は2017年から更新されていない様子。当時17歳だったはずですが、元気な様子が窺えてました。 飼主の旦那さんが抱いてる写真では大きめの鰤のように伸び切っている姿がユーモラスでした。メインクーンは娘のベス嬢(正式にはエリザベス)と二匹いて、一緒のショットが多く、ディティールボケてしまうのでデッサンの団塊で省略する線が多すぎ、作り過ぎてしまうので絵としてはあまり上手くいかない。すっきりした美人です。ふとした表情がワイルドキャットを思わせる風貌に見える時があり、暢気な面も見えたり、メインクーンの純血性は僕にはわかりませんが、存在感がありますね。大きい猫って言うのは。 作画2011年5月2日 1185×1132pix 3.84MB tifファイル 350dpi この展示では横を1000pixに抑えたpngファイルにしてあります。
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パラサウロロフス 随分古い作品なんだけど、なんでかよく使っていただく。
パラサウロロフス 『パラ』って言うのは『近い』とか『似た』という意味がある当然この恐竜の前にサウロロフスという恐竜が存在していることになる。恐竜ではよく使われる。『プロ』『前の』とかね。『ポリ』って言うのは科学生成物でよく使うね。フェノールって言う薬品、薬臭いやつがたくさん集まったものをポリフェノールって言うのと同じ使い方だね。 ジュラック・パーク2だっけ、で人気が出たね。 パラサウロロフスは3,4体描いてるけど、これが一番ダウンロードされているらしい。頭の配色が良かったの注文に応じて何度かリメイクした。 白亜紀後期のハドロサウルスの仲間。同時期の他のカモノハシ竜であったランベオサウルスやコリトサウルスと同じく大型の植物食に特化した恐竜。最大の特徴は頭頂にある長い鶏冠である。その鶏冠に管があり、嗅覚を高めるものであるとか、この管の構造上トロンボーンのように音を出し、コミュニケーションのために使用する役割を持っていたとかいくつかの説がある。 原画サイズ小さかったが、最終的には5800×2800pix pngファイル 約8MB 320MB 2018年6月以前のものはパソコンのクラッシュで失われている。 ライセンス販売 Adobestock・pixta
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Blog Cats-2 エル ( L )
2010年頃に作成した画像。モデルはたしか『うしさんの部屋』とかタイトルがついていた。Kontentenさんというハンドルネームの飼主さん。魅力的な牛柄猫。 かなり前なのでご存命かどうか定かではありません。目に野生の力強さがあって、決して飼いならせない野生の光を感じます。丁度、羽毛や体毛が生えている恐竜画像を掻き始めた頃で繊細な羽毛を描くため作ったいくつかの筆先を試すために始めた現代動物のひとつとして気分転換に描き始めた頃だったと記憶しております。エルという名は私のうろが来た記憶では、お宅のLPガスのボンベのところで発見された猫さんであったことに因むとお聞きしたことがあったようななかったような。 原画 1365×1000 5.27MB TIF 320dpi
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1-猫とくらせば-(MIKAN)みかんちゃん
この猫さんのご主人のカメラワークはプロである。 ボクは時々他のブログからこのご主人のブログに跳び、このネコちゃんの手や足や後頭部やらの写真に混じって時々登場するご尊顔を拝していました。 そのどの色彩も茶トラ猫を全く純血の固定されたタビー種のように撮られている。 窓から差し込む強い夕日が赤茶けたヴェールで覆い尽くしたような特有の明晰と色彩へのセンスがあって、みかんちゃんはどうしても描きたかったのだけれど、ボクにはその本当の体色が判らない。 でも、毛先の一本一本までピントが合っていながら、特有のオーラがある。 みかんちゃんの毛色はおそらくその名前のイメージから、もう少し淡いのではないかとも思いますが、敢えてボクがブログでショックを受けたその緊密で夕日色が深く染みこんだような色合いを使わせて頂きました。 元のお写真は爪研ぎ台の上で作業に及んでいるシーンのようでしたが、ここは少し遊ばせて頂いております。
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ヒューバート・パリーのピアノ協奏曲嬰ヘ長調とスタンフォードのピアノ協奏曲第1番
HyperionのロマンティックピアノコンチェルトVol.12として発売されたレコードのCD盤。 イギリスの代表的な作曲家のピアノ協奏曲ですが、うまくいかないものでスタンフォードは第2番を聴きたかったね。 ピアニスト:ピアーズ・レーン オケ:BBCスコティッシュSO 指揮:マーティン・ブラビンズイギリスに現現代のポップスロックに至るまで脈々と系譜を繋ぐ古典音楽の重鎮の二人の作品。ここでは サー=ヒューバート・パリーの『イングランドの重い風』を感じて欲しい。 Sir=ヒューバート・パリー/ピアノ協奏曲嬰ヘ長調 第1楽章 アレグロ マエストーソ [11'52] 第2楽章 マエストーソ [9'07] 第3楽章 アレグロ ヴィヴァーチェ [13'45] ヒューバート パリーの作曲家としてのデビュー作になるか。 彼の5曲のシンフォニーは大好きだけど、この作品については彼の中のブラームスが未消化に感じられ、 正直一度聴いたときは、すぐにやめてしまった。 二度目に聴いたときもかなりの忍耐を要した。 三度目くらいで楽章ごとに集中出来るようになった。 そこら辺で今まで聞こえなかったものがやっと聞こえるようになってきた。 クラシックっていうのは、感性が作品にシンクロするまでに暇がかかるものがある。その辺はフリージャズにも言える。 それは普段読まない小説家の作品に無理矢理興味を向けるのと似ている。 音の力と文字の力の違いはあるが、どちらも普通の人間の表現力ではない。 この作品にはスタイルを確立する前のパリーのあがきのようなものがあって、何処かにスクリャービンが聞こえたり、 ラフマニノフがいたり、リストがいたりする。 ただ、後年の管弦楽の緻密さからすれば驚くほど軽いところがあったりしてめまぐるしい。 第1楽章はフェルディナンド・ヒラーのピアノ協奏曲の主題に似ている。 (…と書いてもヒラー自体が全然ポピュラーではないのであんまり意味はないけれど。) 弦楽がソロピアノに絡む部分の清冽な抒情は初めて嬰ハ短調のスクリャービンのピアノ協奏曲を聴いたときの淡さがあったけれど、 そこからこの人の重厚な部分が始まる。 ブラームスの影響と言うよりも、もう、この頃から彼のオーケストレーションはそれが個性と言えるほどブラームスっぽい。 イギリスの庶民的な旋律に縁取られ、その溶け合いが何処か自然に聞こえてこなかった。 発売されているCDは世界初録音とされていて、作曲家の指定したテンポよりマエストーソの表現に引っ張られているようで、そこが最初の取っ付きを悪くしていた。 何度も聴くうちに、『ああ、やっぱりこの作曲家は好きだなあ』と思ってしまった。 イングランドに吹く風は決して軽々と舞い上がることなく、曇り空の草原の葉先を滑るように蛇行しながら英国の果ての断崖を滝のように落ちて行く。 未聴の協奏曲を聴くならまず、聴いておくべき腹の据わった音楽である。 第3楽章もいいねえ。長いけど。この楽章はピアノがオケから数歩抜け出て、活き活きとしたフレーズを跳ねるように駆ける。 管弦楽と混然となる部分の重奏的な構築は堅牢で、ピアノにかなりのタフネスを求める部分だろうと思う。 このピアニストは一連のロマンティック・ピアノ協奏曲シリーズをよく演奏している人だが、この作品にはかなり共感を持っているようだ。 女々しさのないごつい音楽である。 https://youtu.be/uaPJcyu7fCk?si=u1Om8hGBLi4zvZ00 サー=C.V.スタンフォード ピアノ協奏曲第1番ト長調Op.59 - 第1楽章: アレグロ コモド いきなりのローカリティ豊かな3/4のピアノのおしゃべりが始まり、「え?」と二度聴き。あ、序奏なん だと納得。ブラームスの夢を見て起きた後のプーランクかサン=サーンスみたい。 第2楽章:アダ―ジオ モルト ブラームスのシンフォニーの序奏のような入り方にほつほつとピアノの旋律が歌いこむ。とても印象的で静謐な緻密な音楽。重奏部に至るソロパートは説得力がある。 第3楽章 : アレグロ・エ・ジョコーゾ 美しいんだけど、、第2楽章がよすぎ。 YouTubeで全曲聴けるけど、CMでセンスのかけらもないデジタル的ぶった切りでブチブチ切れるのでCD聴いた方がストレスが少ない。
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ディーリアス 管弦楽集 サー=トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤルフィル他
フレデリック・ディーリアスの管弦楽集 かつてこれらはEMIから管弦楽全集の名のもとにいくつかのLPに分けられて発売されていたものの一部。ボクはそれを持っていたけれど、田舎に帰ってしばらくして実家に移り住み、長女のために部屋を開けるため処分した大量のアナログレコードの中の数枚。これをヤフオクと略称される以前のオークションで販売し、CDを買い替える資金にしたんだが、これを落札された頃から業者が買い締める状況が目立ち始め、嫌気がさして撤退した思い出があります。例えばモーリスラヴェルのピアノ曲『夜のガスパール]』(Pf:サンソン・フランソワ)をオークションに出した時はラヴェルがヒントを得たヴェルトランの詩集をくっつけて提供したり、本当に音楽が好きな人に買ってもらいたいと思って随分工夫もしたんだけど、『オークションで業者が買うなよな』と苛立ちを感じたものでした。 ディーリアスのCDで管弦楽として購入したのはこの一枚だけです。 当時のLPは全てターナーの絵がジャケットに使用されていてお気に入りでした。 このCDでは何といっても組曲『フロリダ』が好きですね。縹(はなだ)色の夜明けが次第にオレンジがかった空色に変化して朝陽が差し込んでくるような情景、日常が始まる時の人間臭いリズムにヒンヤリした旋律が刺さりましたね。 それとLPのジャケットのターナーの「日没」の絵がすっかり刷り込まれてしまった『日没の歌』これは歌曲であり、苦手なんですが。コントラルト(モーリン)とバリトン(ハリソン)の紗がかかったフィルターを通したような歌声が素晴らしかったのを記憶していました。 ディーリアスとビーチャムの関係は彼のピアノ協奏曲でも書きましたが。もう少しLabni書きたいですね。 2枚組 DISC1 1 交響詩『丘を越えて遥かに』 ビーチャム改定&校訂版 2 そり乗り(冬の夜) 3 ブリッグの定期市-イギリ狂詩曲 ビーチャム改定&校訂版 4 フロリダ組曲 ビーチャム改定&校訂版 https://youtu.be/twLZ6HgvYDc?si=WmfJAS1uIRaNMpcW ① 夜明け(カリンダ舞曲) ② 河畔にて ③ 夕暮れ(農場の側で) ④ 夜に 5 マルシュ・カプリス DISC2 1 ダンス・ラプソディー第2番 2 夏の夕べ ビーチャム改定&校訂版 3 2つの小オーケストラのための小品 ・春初めてのかっこうを聞いて 4 夜明け前の歌 5 歌劇『フェにモアとゲルダ』間奏曲 6 『イルメリン』前奏曲 7 日没の歌
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極小の飾り物
赤は奇麗。白の玉髄部分は汚れがあるけれど、極小なのにそれなりの存在感があって同じような石が打ちあがっている水際でもよく目立った。少し汚れを削り取ったけれど、そのままでも十分艶がある。 ちょっと今の時期は浜にいるだけで自殺行為だね。この一年で自分の近所だけで石拾いするのを頑張って来たけど、手元にはここにないものがちょくちょく送られてくる。わらしべ長者のノリだね。
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米津玄師 Stray Sheep
ジャケットの絵は米津自身の描いたものか、背景の選択から構成まで見事。最近の次女が聴いている音楽の中ではもう、少し古くなっているのかもしれない。 彼女のおかげで70の爺が早逝したowakaやShudoやアドやいわゆるボカロPと呼ばれるアーティストの作品を耳にしている。この米津さんの作品には未消化なままの希死感はちらつかない。感性が整理されていて理知的である。 どんな曲でも作れそうな感じがする。彼の持っている言葉の感覚的な連鎖は彼が高校時代に作曲したちょっとリズムが阿波踊りっぽい歌のころからすでに完成されている。 このCDは珍しくダビングしないで自分で買ってしまった。 ほとんどの曲が変化に富んでいて、個々のエピソードの創作とインスピレーションが彼のその辺に投げ捨てるような歌唱の中で生き生きとテーマ化している。 爆発的にヒットしたものもあるし、今の世界観を歌ったものも、出来上がってから裏付けられたようなストーリもある。どれも抜きんでてすばらしい。 ほとんどの曲が何らかのテーマであったり、CM添淫具であったりするが、セルフカバーやコラボしたもの、自説を感じる者様々な色合いが感じられるけれど、 この中で一つ選ぶとすれば、14曲目の『海の幽霊』。 映画のテーマなんだけど、ほとんどをファルセットで歌う。テーマの実体のない幻想と薄絹がかかった現実感が音楽として融合している。こんなアーティスティックな歌唱をボクはこのジャンルのアーティストでほとんど聞いたことがない。次元が違う感じがした。 1.カムパネルラ 2.Flamingo (ソニーワイヤレスヘッドホンCM) 3.感電 (TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌) 4.PLACEBO (野田洋次郎とのコラボ楽曲) 5.パプリカ (Foorin「パプリカ」のセルフカバー) 6.馬と鹿 (TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌) 7.優しい人 8.Lemon (TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌) 9.まちがいさがし (菅田将暉「まちがいさがし」のセルフカバー) 10.ひまわり 11.迷える羊 (大塚製薬「カロリーメイト」CMソング) 12.Décolleté 13.TEENAGE RIOT (ギャツビーCM) 14.海の幽霊 (映画「海獣の子供」主題歌) https://youtu.be/1s84rIhPuhk?si=v_XtgiX_wJNigAIo 15.カナリヤ
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Schubert : String Quartet No.13&No.14 Alban berg Quartet
ウィーン・アルバンベルク 弦楽四重奏団 シューベルト:弦楽四重奏曲第13番イ短調 D.804 ”ロザムンデ” 第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ 第2楽章 アンダンテ 第3楽章 アレグレット(メヌエット) 第4楽章 アレグロ・モデラート メランコリックな主題をヴァイオリンが紡ぎ出し、曲はロマンティックな表出に慣れた聴衆の心に深く入り込む。 最初期の歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』のモティーフは切なくはあるが、滑らかに、ささくれ立った心を慰撫するように緩やかな織り糸となって4つの楽器はその芯に暖かい心を持つように聴く者を包み込む。 短調であることは、この曲ではあまり意味を持たない。 第2楽章がこの四重奏曲の表題の由来である。 劇付随音楽『ロザムンデ』のテーマに拠る変奏曲。 シューベルトでしかあり得ない歌のような流れの滞ることのない四重奏曲です。 死後出版されたものがほとんどのシューベルトの弦楽四重奏曲ですが、このD.804は生前に出版された唯一の作品だという。べートーヴェンが、自分の音楽の中に同じ呼吸で存在を感じた神とともにあるために、行き着いた作法は、限りなく息づかいに近い無調の変異でした。 シューベルトは全く違う道から歩いているようです。 音楽で求めるのではなく、音楽を聴かせることで完結しているように思えます。 聴くものはその時の自身の気持ちのありようで、ロマンティックな旋律の中にやがて孤独や深い思索に陥ってしまう深淵がぽっかりと口を開けているのに気づいたりする。 彼の最後期の弦楽四重奏曲達は、彼の最後のピアノソナタを聴いた時に感じたものと同じ高さに届きそうなレベルになりつつあるようです。 モーツアルト亡き後、感じる音楽の代表であるベートーヴェン。 聴かせる音楽の最右翼としてのシューベルト。 全く別の道を行きながら同じ場所にたどり着くような気がする。ボクだけだろうか? この演奏は初めからCDで聴いていた。 https://youtu.be/AGH4BhJ9mUE?si=FGAjDUE1_YYXe6kI シューベルト:弦楽四重奏曲第14番二短調 D.810 ”Death and the Maiden”死と乙女 第1楽章 アレグロ 第2楽章 アンダンテ コン モート 第3楽章 アレグロモルト(スケルツォ) 第4楽章 プレスト 有名な曲です。あまり熱が入ると凭れます。 ちょっと長くなるのでLabに書きます。 https://muuseo.com/Mineosaurus/diaries/212
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ヨアヒム・ラフ / ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番他
Joachim Raff ・ヴァイオリン協奏曲第2番イ短調op.206 ・フォルカー - ハンガリー風 Op.203~ヴァイオリンと管弦楽編 ・ 6つの小品 Op.85~第3曲『カヴァティーナ』~ヴァイオリンと管弦楽編 ・ヴァイオリン協奏曲第1番 ロ短調op.161 ミカエラ・パエチュ=ネフテル(ヴァイオリン) バンベルク交響楽団 ハンス・シュタットルマイアー(指揮) 録音時期:1999年 録音方式:ステレオ(デジタル) CDに収録された順番通りに並べたらこんなふう。2枚組ではないので音的にはちと詰めすぎている。それでも曲の印象を冷静に並べた結果でしょうね。 カヴァティーナは残念なことにラフの膨大な作品の中で一番よく知られている。他にも素晴らしい曲はたくさんあるけれど、いわゆる彼は『中庸の巨匠』であり、『類型の巨匠』である。 ただしこのような評価はクラシック音楽というものがこの世にはもう新たに生まれてこない『結果の時代』である現代に置いての評価であり、彼が生きていた時代では(「過程の時代」)押しも押されもしない巨匠であったという評価を受けている。注意しなければならないのは、クラシックという音楽の源泉が日本に知られるようになってから、まだまだ日が浅いということ。ブルックナーだって若い頃の小林和男や吉田秀和でも知らなかったんだからね。初めて聴いたブルックナーの第7番で吉田秀和氏は寝てしまったというくらいだ。 ここに収録された大小の4曲はどれも素晴らしい音楽です。 ただ、これを再現するオケがもう少し頑張って、共感してくれればもっと良かった。 ふたつのヴァイオリン協奏曲に関してはLabログの中で書きます。長いので。 ヴァイオリン協奏曲第1番第1楽章を(アレグロ・パティティーコ) https://youtu.be/rRX64TPYW2E?si=1uLX0QoqBqbMdkIj CDジャケット画像 アーノルト・ベックリン1866年”水の精”
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Joachim Raff/交響曲第3番&第10番
ヨアヒム・ラフ 交響曲第3番・第10番 NAXOSにレーベルだが、元はマルコポーロの全集で出たもの。何でこんなにラフの作品が手元に残っているのか本人がよくわからないけど、音楽の流れとしては典型ではなくて深さがさほどでもない大河とでもいおうか。この二曲、当時は相当な人気を博した。特に第3番は彼の作曲家としての名声を確立したと言われている。どちらもベートーヴェンの田園のような標題を持った交響曲であり、天賦の才である巧みなオーケストレーションで聴く者を標題のイメージの中に取り込む。第3番はヘ長調でベートーヴェンの第6番と同じ。ただ、ラフの第3番は人が常にその森の中に感じられる。風景そのものが音楽となったシンフォニーであったベートーヴェンとは少し違ったアプローチだね。音と風景の間に何か作為を置いていてちょっと人間臭い。第5番ではシューベルトのグレートを想起させるダイナミズムがあったが、この第3番の第1部(昼)の第2主題はほとんどドヴォルザークの第8番のメロディを想起させます。もともとこの人にはボヘミアンのノスタルジーが上品に流れているのかもしれない。 交響曲第3番ヘ長調作品153『森の中で』 3つの部に分かれ、4つの楽章を持つ。 第1部(昼)……………(彼は朝が苦手なのかね?) 第1楽章 「印象と感情」 第2部(夕暮れ) 第2楽章 「夢」ラルゴ 第3楽章 「木の妖精の踊り」 スケルツォ:アレグロ・アッサイ 第3部(夜) 第4楽章 「森の中の静けさ。ホレおばさんとヴォータンの狩りへの出発。夜明け」 アレグロ フーガで始まりフーガに回帰し、最後夜明けのイメージで第1楽章の第二主題に回帰する。 https://youtu.be/uCszFkUqDS0?si=AO-kwlIngv3nBalY 交響曲第10番ヘ短調 作品213『秋に』 まあ、なんというか聴きやすーい作品。没個性だけど。 第3楽章のエレジーは優しくていいね。メロディーラインの美しさはラフの才能なんだろうね。でも、標題にかかわり過ぎて交響的な音の交差がから生まれる逞しさがない。だからバックグラウンドでも抵抗なく聴けるんだろうね。 https://youtu.be/Bs7jrHfcwtg?si=437GxTxIWaMHvVIJ 第1楽章 アレグロ・モデラート(印象と感覚) 第2楽章 アレグロ (ゴーストダンス) 第3楽章 アダージオ (エレジー) 第4楽章 アレグロ (人間の狩り?) スロバキア国立フィルハーモニー管弦楽団(コジツェ) 指揮:アルス・シュナイダー CDのジャケットはTUDRではベックリンは使わないみたい。この絵はヴァレンティン・ルースの1895年の作品。「メドウとウッドランド」
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