Schumann/ Symphony No.3 & No.4 CHISTOPH VON DOHONANYI The Cleveland Orchestra

0

パソコンの寿命が来そうなので、いつ入れ替えになるかわからなくてアルバムをCDに移し始めている。

もう、はるか昔の写真だけど、観たとたんに音楽が流れた。
どこへ行くつもりだったかも覚えていない。
たしか叔母の旦那さんに送って行ってもらった駅から乗った列車の車窓から撮った一枚。
たしか進行方向左側の景色だから行きの列車だな。
ラインをいくつか撮ったはずだけど、どこを探してもこの一枚しかない。やっぱり昔から写真は苦手で、あとはもっとピントが合っていなかったんだろうね。
そうするとこの撮影者は奥さんかもしれん。よー分らん。

でも、このラインを鉄橋の上から見たときに響いた音楽は覚えていた。
ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」の第1楽章。

第1楽章のLabhaft(活き活きと)は、まさに輝いていた。
風の凪いだ湖面のようなライン川の流れは川面を渡る風が水面すれすれをかすめてゆくとき、生まれるさざ波の無数の平面に朝の光を反射して、ガラス窓を閉めたままの車窓から風の揺らぎを感じたような錯覚を残していた。
シューマンは4番は好きでよく聴くけど、敢えてこの3番を聴くことは今はあまりない。

でも、聴き始めると全く記憶にないと思っていた各楽章の出だしが、何となくすぐに浮かんでくる。
(本当はこの第3番は一番最後の交響曲だった。後に2番目に書かれたものが改訂され、現在の第4番として発表されたため、第3番とされている。)

この「ライン」というタイトルはシューマン自身が付けたものではない。
誰かはわからないけれど、ボクと同じようにラインの流れに望んだとき、第1楽章のスタッカートを用いた跳ねるようなリズムの下に、滔々と流れる大河のような旋律を感じたのかも知れない。

あるいは、ライン川の岸辺を散策することを好んだシューマンの着想をそこに聴いたのかも知れない。
第4番のうねるような幻想的な音楽ではなく、構築力に弱みを持っていたシューマンが、その欠点を意識せずに美点を発揮した非常に起伏に富んだ音楽だ。
第1楽章の燦然とした水面の輝きと第4楽章のロマンティックな荘厳さはこの曲の対照的な美しさを感じさせる。

シューマン/交響曲第3番変ホ長調OP.97『ライン』

第1楽章 生き生きと(Lebhaft)

https://youtu.be/1GpgernJ1TE?si=-w0gfqoEFJjMTZ7p

第2楽章 スケルツォ きわめて中庸に(Sehr mäßig)
第3楽章 速くなく(Nicht schnell)
第4楽章 荘厳に(Feierlich)
第5楽章 フィナーレ 生き生きと(Lebhaft)

このベルリン生まれのハンガリアンの指揮者、父は筋金入りのレジスタンス。反ナチの闘争に身を投じた法律家。強制収容所でその生涯を終えている。
祖父は僕の好みの作曲家。かのエルンスト・ドホナーニである。ショルティやバーンスタインに指示し、カラヤンの影響を受ける。どちらかというと乾いた音色を好むような気がする。セルが育てたクリーヴランド管弦楽団との相性は抜群。
過度にきらきらしすぎず、きちんと正座したようなマッシヴな音楽が心地よい。

カップリングされた第4番もいい演奏だけど、こっちは、やっぱりフルトヴェングラーを聴いてしまうね。どうしても。

シューマン/交響曲第4番ニ短調作品120 (クララへの22歳の誕生日プレゼント)

第1楽章 かなり緩やかに (Ziemlich langsam) - 生き生きと (Lebhaft)
第2楽章 ロマンツェ かなり緩やかに (Ziemlich langsam)
第3楽章 スケルツォ 生き生きと (Lebhaft)
第4楽章 フィナーレ 緩やかに (Langsam) - 生き生きと (Lebhaft)


Default