Person3-2 ニコライ・メトネル ―スルメ
ニコライ・メトネル/ピアノ協奏曲第1番ハ短調op.33 第1楽章 アレグロ 第2楽章 トランクウィロ ドルチェ(変奏曲) 第3楽章 コーダ:アレグロ・モルト 今、ボクが聴いているのはかなりのスクラッチのイズを拾っているけれど、英グラモフォンが出しているメトネルの自作自演盤です。もちろんモノラル。 管弦楽との共演ではオケの部分が混濁したり、痩せてしまったりするのですが、比較的聴きやすい。 以前から言っていますが、ボクは素人なので雑音のもの凄いSP復刻の名演奏といわれるものを聴き、その演奏の中から演奏者の真髄を聞き出す、という評論家諸子の離れ業は出来ませぬ。 この録音の品質くらいならなんとか…ね。 ノイズが多いけれど、演奏はそれを超えて凄い。 YouTube では第1楽章を2つに分けて紹介しているらしい。これは原曲が4楽章形式であることに倣っているんでしょうね。他にも現代のピアニストが演奏したもっと聴きやすいCD演奏がある。 でも、最初はやっぱりこれだろうね。 聴こえてくるピアノは大時代のヴィルトゥオーソ的な情感たっぷりな思い入れなどというものとは無縁の切れまくったピアニズムです。こんな演奏をする人は20世紀初頭ではラフマニノフだけではないかと思います。案の定、この作品は第2番と同様ラフマニノフその人に献呈されています。当時のレベルで『弾きこなす』というほどこなれた演奏が出来るのは限られていたのではないかと思うね。第2番はラフマニノフの第3番の協奏曲を凌駕する超絶的な技巧が求められていますが、この第1番も相当なものです。第1楽章のスラブ的な主題は第3楽章の終盤にもあらわれ、全体の統一感を意識していますが、音楽的には非常に入り組んでおり、旋律的には決して濃密で甘いロマンティシズムが香るようなものではありません。かといって、この曲はリストや他の先人のコピーではなく、技巧が走ると管弦楽が軽くなるような巨匠スタイルのためのものでもない。管弦楽にはこれにふさわしい厚みと即妙があり、それが切れのいいピアニストの手にかかると、何度も聴き直すだけの内容と充実感を抱かせる作品であり、ラフマニノフはそのピアニストとして理想的であったのでしょう。作曲に当たってはラフマニノフのピアノ協奏曲の音構造を精緻な分析の元に下敷きにしているようです。管弦楽の重畳的で交響的なスケールはその意図に基づいたものと思わせます。後にラフマニノフと並んでソファに座り歓談している写真がジャケットに使用されたりしていますが、作曲において、抒情性にウエイトを置いたラフマニノフと抒情を犠牲にしつつソナタ形式や構築性に心を砕いていたふしがある点で、メトネルはある意味ドイツ的であり、晦渋であるといえ、マックス・レーガーにつながる道の途上にいるようにも思います。 しかし、この作品は決して面白くないわけではありません。いい具合の塩味が効いたスルメみたいに噛めば噛むほど味が出ますね。当時現れては消えた凡百のロマン派ピアノ協奏曲のレベルではありません。コーダは管弦楽のトウッティで華々しくフィナーレを飾るのではなく、彼の愛したショパンの前奏曲第24番ニ短調を思わせる、和音の連打で幕を閉じます。形式的な均一性と意表をつくピアノの存在感がある。だからこそ再現者から受ける印象が大きく作品の評価を分けるのではないかと思う。『つまらない演奏』という表現はその前提として再現される作品の確固とした評価に因っています。それはすばらしい作品を再現し損なった音楽家に対してなされる比較評価である部分が多い。確固たる作品としての評価を確立していない作品にとって、再現者としてのピアニストの出来不出来は大きなウエイトを占める。だからこそ、この作品はライバルといってよいラフマニノフの才能に捧げられているのであり、自演して録音したのではないだろうか。作品に対する自負とプライドはラフマニノフ以上。いかにアピールするか、を考える。うまく行ったかどうか、ずいぶん長い年月がかかっているが、いま、次々とあらわれるヨーロッパでのすばらしい録音はその一つの答えかも知れませんね。。 https://muuseo.com/Mineosaurus/items/213?fb=open&status_to=open メトネル (Medtner)ピアノ協奏曲第1番,第2番 | MUUSEO (ミューゼオ) https://muuseo.com/Mineosaurus/items/213?fb=open&status_to=open Mineosaurus 現代の新進気鋭のピアニストは技術的には20世紀初頭のトップレベルの比ではありません。ブロンフマンの弾いたラフマニノフの第3番のカデンツァ(オシア)なんか、何度見てもこれはコマ撮りしているのではないかと思うほど超速で弾かれています。左右の手をカメラが追い切れずブレて見えるんですからね。僕はカデンツァはこれでいいと思うんです。演奏家が自分の技量を見せる部分ですから。 でも、は音楽ってそれだけじゃダメなんですよね。メトネルは同時代のラフマニノフにないものを自分の作品の中心に持ってきた。そのためラフマニノフが最も優れていたロマンティックな部分を削ぎ落し独自の道を選ぶのに成功しています。それが人気という点では今一つであることは確かですけどね。 じゃあボルトキエヴィチはどうだったのか。彼にはメトネルの強靭な指も、ラフマニノフの偉大な指もなかった。でも、中庸の技術が彼のロシアンメランコリーを支えていたのだと思います。 演奏はニコライメトネルの1947年のモノラル録音です。
woodstein
2023/11/07クラシック映画のB.G.M.の風情を感じる曲でした。
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Mineosaurus
2023/11/08 - 編集済みコメントありがとうございます。ラフマニノフくらい使われれば、もう少し人気が出たかなー。今眠い目こすりながら劉慈欣の『三体』やっと2巻目迄読み終わり、ようやくWowWowの映像版を観始めました。エピソード30まであるそうで、凄いスケールですわ。このSFどっちも凄い。いきなり引き込まれてます。
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