MINOLTA MD ZOOM 35-70mm f3.5(MDⅢ型)

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MINOLTA MD ZOOM 35-70 F3.5(1983年 MDⅢ型)

8枚7群 最短撮影距離0.8m 365g

初期型でミノルタ35-70/3.5の思う所は概ね述べています
https://muuseo.com/unknown001z/items/25
ミノルタ35-70/3.5は数多く出回り、安価で購入できますが、多くは初期型、2型です
3型はクォーターマクロが付いているのでマクロ用の水色メモリがあれば3型と分かります
初期型、2型より少し高いです

本レンズは
Leica VARIO-ELMAR-R 35-70mm f/3.5の兄弟レンズでライカ設計との風評がありますが、初期型で述べた様に私見ではミノルタ主導で設計、製造されたものかと思います

↓以下は海外比較サイトの評価を要約していますが、同サイトでも本レンズはミノルタ設計、製造としています

海外比較サイトの評価は

これは絶対に素晴らしいズーム「最高の1つ」
どんなシーンでも非常にシャープ
無限遠のF5.6から完全にシャープ
ポートレートには十分な明るさで、望遠端でも悪くないボケ、収差は小さい
人気の高い伝説のレンズ

このレンズがライカによって設計されたことを言うのをやめてください。 このレンズはミノルタが設計・製造したものです。コピーにライカのラベルが付いている場合でも。

MINOLTA MD ZOOM ROKKOR 35-70mm f3.5(初期型)
MINOLTA MD ZOOM ROKKOR 35-70mm f3.5 (初期型) 7群8枚 最小絞りf22 365g 最短撮影距離1m 1978年9月 当時価格66,800円 言わずと知れたLeica VARIO-ELMAR-R 35-70mm f/3.5の兄弟レンズ 40-80/f2.8の後継として設計 当時は単焦点レンズが基本なので50mmを中心に広角側35mm望遠側70mmと3本分のレンズを1本で補えるとゆう見方 また、f3.5というf値も高感度フィルムの浸透というファクターが関係します オールドマニュアルズームレンズはあまり人気のない分野です コレは単焦点のキレイなボケや解像感に対して、過渡期のキットレンズやお手軽ズームレンズの描写がイマイチだった影響を受けているものと思料します 当然古いズームレンズ推して知るべし、言わずもがな‥‥ 私もMFズームレンズは守備範囲外でした。 しかしコレは食わず嫌いで、この35-70/3.5を使用してからその印象は変わりました。 シャープな写りでボケもキレイ、各収差も目立ちません。 何より当時の人気を裏付ける玉数の豊富さと安さ 先に述べたとおり、当時は単焦点レンズ基準なので、ズームレンズにも単焦点並の解像度や収差を求められ、当時の技術者はそれに迫る性能を満たすように苦労を重ねた様です 当時1978〜1980年にかけ各メーカーから35-70mmレンズが次々と販売されました MINOLTAの35-70m f3.5は3種類、簡単に、 ロッコール銘の1型(1978年) ロッコール銘が無くなった2型(1981年) マクロが付いた3型(1983年) で見分けます 外観上同じに見えますが、海外の比較サイトの評価では最終型の3型が一番シャープとの評価でした。 このレンズの弱点はなんと言っても最短撮影距離1m 3型だけ最短撮影距離0.8m、マクロ付きと弱点を克服しています。 ネット上では物凄く玉数の多いレンズですが、やはり、3型は少し高いです さて、ライカと兄弟レンズの話ですが、 1959年誕生した初のズームレンズ フォクトレンダーズーマーは大きい上に性能が低く、ライツのトップたちはズームレンズそのものをユーザーに提供することは無いと判断しました。 その後、日本メーカーはズームレンズを進化させ、ライカはこの分野で日本メーカーの後塵を拝することに、また、カメラのシェアも日本メーカーが席巻することになりました ライカのズームレンズは 1969年フランスから供給を受けた アンジェニューズーム (45~90mm F2.8) と ミノルタから供給を受けた バリオ・エルマー (80~200mm F4.5) から始まります。 当時ライカにはズームレンズの設計経験も、加工技術や設備もありませんでした。 日本のカメラメーカーとの提携が必要と、舵を切ったライカは1972年にミノルタと提携。 技術相互提供、技術者の相互派遣、生産設備の相互利用による生産協力、新製品の共同開発が骨子でした ミノルタの黎明期はドイツ技術に指導を受けて開業していた過程から田嶋社長を始め会社の首脳陣は恩返しができ、国内営業担当者もイメージアップになると乗り気でしたが、若い技術者や海外営業担当はなぜ今更ライカ?という反応だったとの事です(ミノルタかく戦えりより) ネットには光学系はミノルタ、機構系はライカ等の情報を見受けられますが、1962年にはズームレンズを販売、1975年に40-80mmf2.8という全く独創的な変態レンズを製造販売していたミノルタの技術者が、わざわざ当時のライカ技術を受け入れた話は眉唾もの。どちらにしても、当時の資料にそのような話は見当たらないです。 提携の発端であるライカCLは提携時には既に設計がほぼ決まった試作機が存在し、ミノルタの技術者が量産試作を繰り返しCL製造に至りました。 この時標準レンズを両者の競作で行われました。 ライツが2種類、ミノルタが1種類設計し、ライツの1本が採用されました。 提携発表の新聞記事には「ライツ社はミノルタで生産したカメラにレンズ等を組み込んでドイツ製として売る」という一文がありました。 上記の様にライカCLの話と提携時の話がレンズにも影響したもので、実際は共同開発と言いながら、設計、製造のほとんどがミノルタだったのでは?と考えます https://twitter.com/unknown001z/status/1493349848388562944?t=5pjw_9cI7PhaFIJP_raE5Q&s=19 https://twitter.com/unknown001z/status/1284365749306290177?t=K8pTDnRP5aYqqUvYPf-50g&s=19
https://muuseo.com/unknown001z/items/25

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