Florian Fricke “Die Erde Und Ich Sind Eins - I Am One With The Earth”

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出ました!ジャーマン・ロックの最左翼Popol Vuhの首謀者Florian Frickeのソロアルバムです。元は独逸のLorck Publication Münchenから出ていたものをスペインのWah Wah Recordsがリマスターして再発しています。最初こそ、Moog Synthを使ったスペーシーなサウンドを提示してましたが、その後は反電子音楽的なアプローチを行なってきたPopol Vuhです。Florianはアコースティック・ピアノで作曲するようになり、そのような方向に向かったのだとか。簡単に彼のバイオグラフィーを少々。彼は、子供の頃からピアノを習っており、ピアノで作曲もしていました。18歳の時、ある種の新しいフリージャズのような音楽を志向、同時期に、アマチュアの短編映画を撮ったり、そのサントラを作ったりしています。その時に後に彼のプロデューサーとなるGerhard Augustinとミュンヘンで会っています。そして、1967年に独逸映画監督のWerner Herzogと出会い、Florianは1967年作の最初映画”Lebenszeichen”に出演、その後は1972年作”Aguirre, the Wrath of God (アギーレ/神の怒り)”や1976年作”Heart of Glass (ガラスの心)”、 1979年作”Nosferatu (ノスフェラトゥ)”などにサントラを提供しています。1970年に、Florianは、Holger TruelzschとFrank Fiedlerと共にPopol Vuh(この名前はK'iche(キチェ)族の神話Popol Vuhから取られています)を結成、G/DrのDaniel Fichelscherも加わりますが、亡くなるまでFlorianがリーダーでした。また、Florianは独逸のバンドともコラボをやっています。1972年にはTangerine Dreamの作品”Zeit”で、またAmon Düül IIのRenate Knaupとも共作しており、1973-1974年では、Danielと一緒に、以前Popol VuhのギタリストですあったConny VeitのバンドGilaのメンバーとしても活動しています。1970年代初頭、Florianは音楽療法に集中しており、その療法を「身体のアルファベット」と呼んでいました。また元メンバーであったFrank Fiedlerは、カメラマンでもありましたが、彼と一緒にIsrael, Lebanon, Mesopotamia, Morocco, Afghanistan, Tibet及びNepalなどのスピった場所で映像撮影を敢行しています。しかしながら、2001年に、Florianは、57歳の若さで、ミュンヘンで心不全により亡くなっています。以上が彼のバイオグラフィーです。
それで、本作品ですが、初めて聴いた時、これは「声明」だと感じました!多分、声を素材に組み立てたのでしょうが、曖昧模糊或いは茫漠とした音像が聴き取れます。特にA面片面を全部使った曲”Gruppenseufzen Zur Versöhnung Der Erde Mit Dem Menschen”で著明です。確かにアンビエント「風」ではありますが、それにしては重いですね。独逸語が分かれば、ブックレットを介して、そのコンセプトが少しは分かるのかなとは思いますが、いかんせん読めないので、単なる感想文になってしまうことをお許し下さい。B面には2曲が収められていますが、2曲目の”Song Of The Earth”で漸く弦楽器の音が聴けますが、それまでの曲では基本的に多人数の声のみで曲が進行していきます。そこに何らかの「永遠性」みたいなモノがあるようにも感じます。ここら辺に、流行りかけていた電子音楽からワールドミュージックにシフトした彼の独自性も垣間見えますね。万人受けする音楽ではありませんが、チベットの音楽とかに興味のある方は一度聴かれた方が良いでしょう!しかし、スペインのレーベルWah Wah Recordsは渋い所を突いてくれますねぇ。侮り難しです。

”Gruppenseufzen Zur Versöhnung Der Erde Mit Dem Menschen”
https://youtu.be/1Jkd-8mlBVM

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