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シューリヒトの ブルックナー交響曲第7番(カール・シューリヒトの遺産)
ブルックナー/交響曲第7番
カール・シューりヒト指揮ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団
(1964年9月 デンマークにおけるスタジオ録音)
録音は平凡。音は薄く、残響音は長くはない。
オルガンの重層的な音の重なりが常にオーケストラの弦楽に、管楽に聞こえるはずであり、求められる演奏。
なのに1964年のこの録音にはこの演奏には現代の楽器を駆使する精緻な音の追求はない。
セピア色に滲んだ景色の中に回顧するようにゆっくりと第二楽章の叙情が滔々と流れる。
オイゲン・ヨッフムがリンツの協会で録音した演奏が最高の環境ではないかとボクは思っていたのに、この古い演奏と録音は何だろう!
オーケストラの力のなさにすらボクは目をつぶってしまう。この演奏がそんな水準であり、そんなオーケストラであったはずはない。恨むべくは60年代ステレオ録音の創成期にあるまじき録音の貧弱さ。
それなのに、カール・シューリヒトがボクに聴かせたブルックナーの第7交響曲は、この作曲家の全てを知っているかのように、遠くから響いてくる余韻を、薄い音の重なりの中から拾い上げ、無形の暖かさに包まれた音符の流れとしてボクに聴かせる。
紫色のラベンダーが一面に揺れる丘。夕暮れの丘はホルンのセピアの音色の中に染まり、ラベンダーの紫も、山々の深い緑も古い写真の中の風景のようにくすみながら、いつまでも沈まない太陽がゆっくりと頭を垂れるのを待っている。
『Symphony』の和訳である交響曲の中にある自然が息づくような音響の交錯はブルックナー以前の音楽家にはない。本人がこの音楽形式に閉じ込めようとしたものは、形式からどうやってもはみ出てしまう音の持つ流れ。自然の中に存在するあらゆる真摯な音響のポリフォニー。
アントンブルックナーには田園のオーケストラが似合う。古びた田舎町の協会のパイプオルガンが鳴るように。
https://youtu.be/a9_pJ8R3GLY?si=3brJ71tIQh6dZy5B