ドライブ・オン・スターリングラード

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1942年6月28日、ドイツ南方軍集団は東部戦線での戦局に決着をつけるべく夏期大攻勢「ブラウ(青)作戦」を開始した。攻撃兵力は北から順に第4装甲軍、第6軍、第1装甲軍、第17軍の4個軍が投入され、枢軸同盟国であるイタリア、ハンガリー、ルーマニア各国から派遣された師団も東部戦線へと配備されて、この攻勢に参加していた。第4装甲軍と第6軍の戦略目標は、ヴォロネシからドン河沿いに東進してヴォルガ河畔の要衝スターリングラードを制圧することにあり、第1装甲軍と第17軍はコーカサス地方へと進出してソ連国内の重要な石油産出地を支配し、ウラル山脈を中心とする敵の軍需経済に大打撃を与えることを目指していた。司令官フェドーア・フォン・ボック元帥に率いられたドイツ南方軍集団は、各地で目覚ましい進撃を続けていった。ドイツ軍の攻勢の矢面に立たされたソ連南西総軍司令官コンスタンチン・ティモシェンコ元帥は、拠点に立て籠って防衛線を築くことよりも兵力の温存を優先させ、配下の全部隊に東方への総退却を命令した。これにより、ドイツ軍は前年にソ連赤軍を壊滅の寸前にまで追い込んだような包囲戦を展開できなくなった反面、前線の東方への移動は加速し、ドイツ軍の先頭部隊は7月21日にはドン河渡河することに成功した。もはや、スターリングラードとコーカサス油田地帯の命運は決したかに見えた。だが、弱者と思えた迅速な撤退戦略により無用な損害を避けて膨大な予備兵力をドン河の北に待機させていたソ連軍は、11月19日に全面的な大反抗作戦を開始する。伸びきったドイツ軍の戦線は、この反撃によって大きく戦線が分断され、パウルスの第6軍はスターリングラードで完全に包囲された。そして、12月に実施された救出作戦が失敗に終わると第二次世界大戦の流れは大きく変わっていったのである…。
「ドライブ・オン・スターリングラード」の初版は名門SPIから1978年に発売されました。その後、TSRから1983年に再販されたものの、いずれも日本国内には少部数しか輸入されておらず、日本のゲーマーにとっては待望の再販となります。基本となるシステムはSPIの代表作のひとつでSLG史上に残る傑作『パンツァーグルッペグデーリアン(PGG)』のシステムをほぼ踏襲しており、ドイツ軍装甲部隊の電撃的なオーバーランや司令部に拘束されて柔軟な対応を取ることのできないソ連軍、そして実際に戦闘に参加するまでその戦闘力がわからないアントライドシステムなど、独ソ両軍の組織能力上の違いをシンプルかつプレイアブルに再現しています。間違いなくSPIの代表作の一つと言えるでしょう。あなたは1942年に始まるドイツ軍の夏期攻勢『ブラウ作戦』を成功させることはできるでしょうか?
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