航空母艦 信濃

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日本最初の超弩級戦艦大和、武蔵に続いて第3番艦だった信濃(しなの)は、昭和15年5月に横須賀工廠で起工されましたが、昭和17年6月、ミッドウェー海戦にて4隻もの主力空母を失ったため、信濃を戦艦としてではなく空母として改造することを決定しました。その設計思想は、もともと戦艦だった巨艦を活かすために他の空母とは異なり、洋上の移動航空補給基地として、艦載機用飛行格納庫を設けず、固有の攻撃機を搭載しない、運用は最前線に進出し、後方の空母から発艦した攻撃機が攻撃後着艦、燃料や爆弾、魚雷を補給して再び発艦させるという方針でした。このため巨大な飛行甲板は防御を強化し敵機の空襲にも耐えるようにし、自衛のための防空戦闘機のみを搭載しました。昭和19年10月に竣工、横須賀軍港を出港し呉に向かった信濃でしたが、潮岬沖合にて米潜水艦アーチャーフィッシュの雷撃を受け、その真価を発揮することなく沈没しました。

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