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九七式 日本陸軍97式中戦車チハ
97式中戦車は、日華事変から太平洋戦争までの全期間に渡って日本の主力戦車として活躍しました。歩兵の支援を主な任務として昭和11年から開発され、主砲には短砲身57㎜砲を搭載、全備重量15トン、世界に先駆けて空冷ディーゼルエンジンを採用する等世界でも一流の新鋭戦車と言われていました。昭和14年のノモンハン事件から実践に参加し、太平洋戦争初期には目覚ましい活躍を見せましたが、その後はアメリカ軍のM4シャーマンなどの新型戦車に特に火力性能で大きな差をつけられ主砲を長砲身47㎜に換装した改良型を開発しましたがその基本設計の古さから終戦まで苦しい戦いを強いられることになりました。なお生産台数は改良型を含めて2123両でした。 #タミヤ #中戦車 #日本軍
35075 MM75 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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戦艦 武蔵
対外状況が日に日に悪化する中、遂に日本軍はワシントン条約、ロンドン条約の軍縮条約を破棄して不足している主力艦の建造に着手しました。これにより武蔵は昭和13年3月三菱重工長崎造船所にて起工、昭和17年8月に完成しました。武蔵は前年の12月に完成していた同型艦大和と共に、それまでの日本の代表的戦艦である長門、陸奥に代わって主力戦艦の座に就きました。特徴は何といっても世界初の46㎝主砲9門であり、それまで世界の主力戦艦の標準だった40㎝砲を上回って世界最大の攻撃力を持つ超弩級戦艦だということです。竣工後は1943年2月に連合艦隊旗艦に就任し、各地に転戦しました。1944年10月、フィリピン沖海戦にて敵艦載機の魚雷20本、直撃弾17発、至近弾20発以上を受けてもなお沈没せず、速度を低下させながらも航行していました。その後も追撃を受けながら9時間以上航行し、遂に力尽きてミンドロ島付近にて沈没しました。 #タミヤ #戦艦 #日本軍
B013 ウォーターラインシリーズ13 艦船 1/700ちょこ大佐
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日本軽巡洋艦 多摩
多摩(たま)は、球磨型軽巡洋艦の2番艦で、1921年竣工、1934年に航空兵装などの近代改装を受け、北方方面のシベリア出兵の為の兵員輸送の任務に就きました。太平洋戦争開戦時には、対ソ連のために千島列島の哨戒の任に就いていました。北方任務の為、船体は白とグレーの迷彩塗装が施されており、北方の女王の異名で呼ばれています。奇跡の作戦と言われたキスカ島撤退作戦に参加、キスカ島に包囲されていた日本軍を霧に紛れて救出し、見事脱出に成功しました。その後南方方面に転戦、レイテ沖海戦にて米潜水艦の魚雷3発を受けて大破、船体が真っ二つに割れて轟沈してしまいます。 #タミヤ #軽巡洋艦 #日本軍
31317 ウォーターラインシリーズ317 艦船 1/700ちょこ大佐
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日本 1等、2等輸送艦
1等輸送艦は、最前線への強行輸送を目的とした高速輸送艦です。基準排水量1500トン、約260トンの輸送量を持ち、水面まれゆるやかに傾斜した艦尾から、搭載した運貨船を発進させることが出来るのが特徴です。21隻が建造され、甲標的、回天の輸送にも使われました。 2等輸送船は、上陸作戦用の戦車揚陸船です。上陸地点に乗り上げ、艦首扉を開いて戦車を発進させるもので、97式中戦車なら9両を搭載でき、海軍用、陸軍用を合わせて69隻が建造されました。 #タミヤ #輸送艦 #日本軍
E089 ウォーターラインシリーズ89 艦船 1/700ちょこ大佐
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日本潜水艦 伊-16 伊-58
潜水艦イ16は、艦隊決戦を主目的に昭和15年に完成した巡洋型潜水艦丙型の1艦です。日本潜水艦史上画期的と言われた魚雷発射管8門を艦首に装備、特殊潜航艇甲標的艦の母艦として真珠湾攻撃に参加したのを皮切りに、昭和19年まで特殊潜航艇母艦として太平洋各地で活躍しました。このモデルは甲標的特殊潜航艇を搭載した真珠湾攻撃時を再現したものです。 潜水艦イ58は、高速重兵装を誇る艦隊決戦用潜水艦として誕生した乙型潜水艦の1艦です。非常に実用性に優れ、太平洋戦争までの日本の潜水艦の中心となって活躍、大戦中にも輝かしい戦績を挙げ、終戦まで戦いました。このモデルは零式小型水偵を搭載した新造時のものです。 #タミヤ #潜水艦 #日本軍
S072 ウォーターラインシリーズ72 艦船 1/700ちょこ大佐
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航空母艦 信濃
日本最初の超弩級戦艦大和、武蔵に続いて第3番艦だった信濃(しなの)は、昭和15年5月に横須賀工廠で起工されましたが、昭和17年6月、ミッドウェー海戦にて4隻もの主力空母を失ったため、信濃を戦艦としてではなく空母として改造することを決定しました。その設計思想は、もともと戦艦だった巨艦を活かすために他の空母とは異なり、洋上の移動航空補給基地として、艦載機用飛行格納庫を設けず、固有の攻撃機を搭載しない、運用は最前線に進出し、後方の空母から発艦した攻撃機が攻撃後着艦、燃料や爆弾、魚雷を補給して再び発艦させるという方針でした。このため巨大な飛行甲板は防御を強化し敵機の空襲にも耐えるようにし、自衛のための防空戦闘機のみを搭載しました。昭和19年10月に竣工、横須賀軍港を出港し呉に向かった信濃でしたが、潮岬沖合にて米潜水艦アーチャーフィッシュの雷撃を受け、その真価を発揮することなく沈没しました。 #タミヤ #航空母艦 #日本軍
A024 ウォーターラインシリーズ24 艦船 1/700ちょこ大佐
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日本軽巡洋艦 夕張
夕張(ゆうばり)は、1923年に佐世保海軍工廠で竣工された軽巡洋艦です。1隻のみ建造の実験艦で、同型艦はありません。3100トンの小さい船体ながら当時としては主砲、発射管を全て船体中心線上に配置するなど画期的な設計で、5500トン級と同等の火力を誇り、世界から驚きをもって迎え入れられました。その後幾多の海戦に参加して実績を挙げましたが、1944年、輸送作戦参加中、パラオ諸島方面でアメリカ軍潜水艦の雷撃を受け大破、沈没しました。 #タミヤ #軽巡洋艦 #日本軍
31319 ウォーターラインシリーズ319 艦船 1/700ちょこ大佐
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日本航空母艦 隼鷹
皮肉にも真珠湾攻撃において航空戦力の重要性が両軍ともに身に染みた太平洋戦争では、海戦の主力は空母にありということで日米とも客船や輸送船などの商船を改装して多くの空母を建造しました。隼鷹(じゅんよう)もそのひとつです。空母に改装することも考慮しつつ建造されていた豪華客船糧原丸を海軍が買収して昭和17年7月に竣工。商船から改装された空母の中では最も大きく、搭載機53機という戦力は飛龍などの中型の正規空母に匹敵するものでした。竣工後まもなく隼鷹はミッドウェー作戦の支援のためにアリューシャン列島へ出撃し、ダッチハーバー攻撃で初陣を飾ります。そして昭和17年の10月、南太平洋海戦では搭載機が米空母ホーネットを撃沈するなど、機動部隊の中核として活躍をつづけました。しかし昭和19年6月のマリアナ沖海戦で直撃弾を受け損傷。修理後は搭載する飛行機が既に無くなっていたために輸送任務に就き、最後は佐世保に係留されたまま終戦を迎えました。 #タミヤ #航空母艦 #日本軍
31212 ウォーターラインシリーズ212 艦船 1/700ちょこ大佐
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チームロータス J.P.S.MkⅢロータス78
不信を続けた77型にかえ、F1レースの名門ロータスチームが1977年シーズン用のマシンとしてデビューさせたのがJ.P.S.MkⅢロータス78です。洗練された細身のボディはF1マシンの中では最もスタイリッシュなものと言われボディサイドの張り出し部にウイングを内蔵して空気力学的に接地力を高めるという奇抜なアイディアを採用したことが大きな特徴になっています。1977年のグランプリ第1戦アルゼンチンGPから実践に投入、マリオアンドレッティが西アメリカ、スペイン、フランスでのレースで優勝、セカンドドライバーもベルギーGPで優勝するなど、ロータスの歴史に輝かしい記録を書き加えた名マシンとなりました。 #タミヤ #車 #F1
20004 無し その他 1/20ちょこ大佐
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フェラーリF189前期バージョン
1989年のF1グランプリ開幕戦のブラジルGPにナイジェルマンセルのドライブでデビューウインを飾ったのがフェラーリF189です。デザイナーは、長年マクラーレンチームで活躍、その手腕を高く評価されているジョンバーナード。極端に細いノーズセクションに対してコクピットサイド部分を最大幅として前後に大きく絞り込まれたサイドポンツーンからなる独特なスタイルが特徴です。エンジンは3.5リッターの自然吸気タイプ、勿論フェラーリ伝統の12気筒でV型レイアウトを採用。また7速のセミオートマチックトランスミッションの実装やユニークな前後のダンパーユニットのレイアウトなど、革新メカを積極的に取り入れた意欲作です。 #タミヤ #車 #F1
20023 無し その他 1/20ちょこ大佐
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日本海軍局地戦闘機 三菱 雷電21型(J2M3)
雷電(らいでん)は、日本海軍が初めて作った局地戦闘機(迎撃機)です。日本機離れしたずんぐりとしたスタイルは局地戦闘機としての能力を高めるために大出力大直径の大型エンジンを搭載したため、プロペラ軸を伸ばしたのは機首を絞り抵抗を減らすため生まれました。雷電が実践に配備されたのは昭和19年9月からで、本土に来襲するB29の迎撃に活躍し、各型合わせて約500機が生産されました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61018 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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日本海軍試作局地戦闘機J7W1 震電
震電(しんでん)は、第二次大戦末期に日本海軍が試作した局地戦闘機です。前翼型の独特な機体形状を持ち、最高速度740㎞以上の高速戦闘機の計画で1945年6月に試作機が完成、同年8月に試験飛行が行われましたがそのまま終戦を迎えました。 当時の日本軍は多くのパイロットが隼やキ100などの自身の技量が発揮できる運動性の高い機体が好まれる傾向にありましたが、高硬度から飛来するB29を撃墜するため、既に大戦末期には米軍の新鋭機に性能的に後れを取っていた零戦の後継機として速度が最優先に求められました。その最高速度740㎞は、当時B29の護衛の主力だったP51Dの704㎞を凌駕し、十分に護衛機を振り切れる高速でした。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
60606 ジャパニーズファイタープレーンシリーズ5 航空機 1/72ちょこ大佐
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日本陸軍四式戦闘機 キー84I型甲 疾風(FLANK)
昭和19年4月、キ84は4式戦闘機疾風(はやて)として正式採用され、終戦までに約3500機が中島飛行機で生産されました。2000馬力のハー45エンジンを搭載、624㎞と日本の量産制式戦闘機の中では最高の速度と20㎜機関砲2門、12.7㎜機銃2基の重武装は戦局が次第に悪化してきた当時、第一線の戦闘機部隊から大東亜決戦機として期待され、フィリピンのレイテ島決戦、沖縄戦、満州や日本本土防空戦に日本陸軍機の中心となってP51ムスタングやF6Fヘルキャットを相手に善戦しました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61013 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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日本海軍零式艦上戦闘機52丙型A6M5c(ZEKE)
太平洋戦争の全期間を通して活躍し続けた零戦の中で大戦後期に登場したアメリカ軍の新鋭機に対抗するために開発されたのが零戦52型です。特に52丙型は零戦の最終型属し、重装甲、強武装で知られています。主翼は32型同様50㎝ずつ詰められた11mで翼端は丸く成形されました。エンジンは栄21型ですが、排気管を単排気管としてロケット推進機同様の効果を生み出し性能アップがなされ、最高速度は540㎞に向上しています。武装は強力な20㎜機関砲に加え13㎜機銃が左右1丁ずつ装備され、機首の13㎜機銃と合わせて5丁もの機銃が装備されました。正式採用は昭和19年10月、93機が三菱で生産され、中島でも生産されたと言われています。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61027 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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零戦32型 日本海軍零式艦上戦闘機32型(A6M3) HAMP
零戦は太平洋戦争の全期間を通じて海軍の主力戦闘機として活躍、日本が生んだ世界的な傑作機のひとつに数えられています。いくつかのタイプがあり、最初の11型、その改良型の21型に続いて戦争の中頃に登場したのが32型です。エンジンを21型の栄12型からより大出力の栄21型に換装し、主翼を翼端で左右各50cmづつ切り詰めると共に翼端を角型にする変更を受け、最高速度は約540㎞と21型より10㎞程速くなるとともに加速、上昇力なども向上しました。また、翼端が角型の主翼を持つのは零戦の中でもkの32型だけで、連合軍のコードネームもジークではなくハンプ(HAMP)と呼ばれていました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61025 無し 航空機 1/48ちょこ大佐