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慶長出羽合戦
「慶長出羽合戦」は、慶長5年(1600年)に出羽国(山形県)で上杉氏と最上氏の間で戦われ、北の関ケ原と呼ばれた慶長出羽合戦をテーマとしたゲームです。 豊臣秀吉の死後、会津征服に乗り出した徳川家康でしたが、西国で石田三成が挙兵したという知らせを受け、最上義光を総大将として残し、自身は急遽江戸城に戻り、西軍への切り崩し工作を始めます。残された義光軍(東軍)は最上軍7000、伊達軍3000の計約1万の兵、対する上杉軍(西軍)は約28000と苦境に立たされます。北の関ケ原と言われたこの戦いは最上軍の善戦により膠着、一方東軍の総大将家康はついに関ケ原へと進行します。多勢に無勢の最上義光は苦境に立たされつつも伊達政宗の善戦にも助けられ、何とか持ちこたえていたその時、1600年9月29日、関ヶ原の戦いに東軍が勝利します。東軍勝利の知らせを受けた上杉軍は撤退を始め、同じく知らせを受けた最上軍は一転攻勢に出、敗走する上杉軍を追撃し、遂に最上軍が勝利します。このゲームでは劣勢から関ヶ原の戦いの結果の報を受けた途端、一気に形成が逆転する様をルールによりよく再現しており、ドラマティックな展開を楽しむことができます。 #コマンドマガジン #慶長出羽合戦 #上杉景勝 #最上義光 #伊達政宗
ルールブック(12P)/ユニット216個/A1フルカラーソフトマップ1/ 1本 無し 作戦級ちょこ大佐
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Citadel of Blood (チタデルオブブラッド)
チタデルオブブラッドは、かってSPI社から発売されていたSFゲーム専門誌「アレス」の第5号の付録ゲームです。タイプとしては、地形となるチットを引いてダンジョンを作りながら探索をするRPGとなります。マップはありません。今日のダンジョン探索型RPGの基礎となるシンプルなルールで構成されており、1人でも遊べる初心者向けゲームとなっています。ルールはシンプルと言いつつ、迷宮内ではモンスター、トラップが出現し、対する冒険者も前列と後列の概念があり、前列は剣を振っての肉弾戦、後列は弓や魔法を使用しての遠距離攻撃を行え、RPGとしての戦闘の基礎はきっちり抑えられている名作です。 #チタデルオブブラッド #アレス #SPI #SFゲーム
勝利条件5種類 無し 戦術級 ?ちょこ大佐
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STシャモン突撃戦車 (前期型)
サン・シャモン突撃戦車は、第一次世界大戦においてフランスが開発、実戦投入された初期の戦車です。車体前面の右側に75㎜榴弾砲を装備し、副装備として重機関銃が4門装備され、乗員は8名、後期にはドイツ軍の手りゅう弾や徹甲弾に対するため上部に傾斜をつけたり、装甲を11㎜から追加で8㎜装甲版をつけたりして強化を図っています(後期型)。1917年に実戦投入されましたが、投入された16両のうち15両がドイツ軍の設置した塹壕にはまり行動不能、多くが撃破されてしまいました。車長に比べてキャタピラの短さが欠点となり、塹壕渡河能力が低かったのが致命的でした。大戦を通じて全部で377両が生産されましたが、あまり活躍はできなかったようです。 #タコム #戦車 #第一次世界大戦 #フランス軍
2002 無し 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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A7V突撃戦車(クルップ型)
突撃戦車A7Vは、第一次世界大戦末期の1918年に実戦投入されたドイツ軍初の戦車です。膠着状態だった第一次大戦での塹壕戦を打破するために開発されました。その形状は戦車黎明期にふさわしく、全長8m、全高3.3mの長方形をしており、キャタピラをすっぽり覆い隠した箱が移動するというものでした。1916年に実戦投入されたイギリスのMkⅠ戦車に衝撃を受けたドイツ軍は、試行錯誤の末A7Vを開発しましたが、その内部環境は考慮されず、車内は天井からつり皮がわりの荒縄がぶらさがり、むきだしのエンジンは爆音を車内に響かせ、僅かに車外から差し込む光以外は真っ暗で、射撃指示は声が通らないため砲手の前に設置された”注意”と”発射”の表示板で行うという原始的なものでした。この極めて悪辣な戦闘環境で車内には操舵のために最低18名(車長、操縦手、機関手、信号手、砲手、装填手、機関銃射手6名、給弾手6名)、最大で26名の兵士が詰め込まれていました。 #モンモデル #突撃戦車 #第一次世界大戦 #ドイツ軍
TS-017 無し 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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マークⅣ メール(雄型) 第一次世界大戦重戦車
1914年から始まった第一次世界大戦は、一言で言って塹壕戦でした。機関銃という防御に長けた武器の発明により塹壕を掘り機関銃を据えた陣地は、攻撃側が圧倒的に不利でした。両軍共に塹壕を掘ってにらみ合う前線が戦域全体に広がり、膠着状態が続いたのが第一次世界大戦の特徴です。各国はこの膠着状態を打破するため、敵塹壕を突破、通過できる兵器、すなわち戦車を発明、開発します。世界最初の戦車は、イギリスが開発したマーク1菱形戦車です。マーク1はその後改良が加えられ、マークⅣへと発展しました。マークⅣ戦車は、機銃を5機装備したフィメール(雌型)型、左右に6ポンド砲を装備したメール(雄型)があります。塹壕を渡るために長い車長とキャタピラを持ち、全体のフォルムが菱形になり、まさに黎明期の戦車の形となっています。マークⅣ戦車は1917年より製造され、雄型雌型合わせて1015両生産されています。 #エマー #重戦車 #第一次世界大戦 #イギリス軍
EM4001 無し 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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チームロータス J.P.S.MkⅢロータス78
不信を続けた77型にかえ、F1レースの名門ロータスチームが1977年シーズン用のマシンとしてデビューさせたのがJ.P.S.MkⅢロータス78です。洗練された細身のボディはF1マシンの中では最もスタイリッシュなものと言われボディサイドの張り出し部にウイングを内蔵して空気力学的に接地力を高めるという奇抜なアイディアを採用したことが大きな特徴になっています。1977年のグランプリ第1戦アルゼンチンGPから実践に投入、マリオアンドレッティが西アメリカ、スペイン、フランスでのレースで優勝、セカンドドライバーもベルギーGPで優勝するなど、ロータスの歴史に輝かしい記録を書き加えた名マシンとなりました。 #タミヤ #車 #F1
20004 無し その他 1/20ちょこ大佐
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フェラーリF189前期バージョン
1989年のF1グランプリ開幕戦のブラジルGPにナイジェルマンセルのドライブでデビューウインを飾ったのがフェラーリF189です。デザイナーは、長年マクラーレンチームで活躍、その手腕を高く評価されているジョンバーナード。極端に細いノーズセクションに対してコクピットサイド部分を最大幅として前後に大きく絞り込まれたサイドポンツーンからなる独特なスタイルが特徴です。エンジンは3.5リッターの自然吸気タイプ、勿論フェラーリ伝統の12気筒でV型レイアウトを採用。また7速のセミオートマチックトランスミッションの実装やユニークな前後のダンパーユニットのレイアウトなど、革新メカを積極的に取り入れた意欲作です。 #タミヤ #車 #F1
20023 無し その他 1/20ちょこ大佐
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中島 海軍皇国二号兵器 特殊攻撃機 試製 橘花
当時すでにドイツ空軍で実用化されていたMe262ジェット戦闘機の技術資料を参考にして、橘花(きっか)は日本初のジェット機として昭和19年7月より設計が開始されました。海軍からの計画要求がなかなか決定せず、また資材不足や搭載エンジンの変更によって設計変更が繰り返されたため、1号機の初飛行は20年8月7日となります。日本初のジェット機の試験飛行は成功しましたが、そのまま終戦を迎え実践に投入されずに終わりました。 #ファインモールド #攻撃機 #日本軍
FB10SP 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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日本海軍局地戦闘機 三菱 雷電21型(J2M3)
雷電(らいでん)は、日本海軍が初めて作った局地戦闘機(迎撃機)です。日本機離れしたずんぐりとしたスタイルは局地戦闘機としての能力を高めるために大出力大直径の大型エンジンを搭載したため、プロペラ軸を伸ばしたのは機首を絞り抵抗を減らすため生まれました。雷電が実践に配備されたのは昭和19年9月からで、本土に来襲するB29の迎撃に活躍し、各型合わせて約500機が生産されました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61018 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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日本海軍 川西 N1K2-J 局地戦闘機 紫電改
紫電改(しでんかい)は、水上戦闘機強風を陸上戦闘機に改設計した紫電が、強風の中翼配置を引き継いだため幾多のトラブルに悩まされたのを改修しようと更なる再設計をして完成した機体です。日本海軍の局地戦闘機である紫電改は、バランスの取れた戦闘機となり、松山基地に重点的に配備され、呉軍港を中心とする西日本の防空戦闘に活躍しました。 #ハセガワ #戦闘機 #日本軍
J005 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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九州 J7W1 局地戦闘機震電
震電(しんでん)は、日本で最初の前翼式(エンテ式)戦闘機として開発されました。エンテ式とは、通常の飛行機とは逆にプロペラを胴体の最後尾に配置し、その前に主翼、更に前翼と呼ばれる、通常の飛行機では尾翼にあたる小翼を最前方に配置するという特異な形式の飛行機です。通常の飛行機ではエンジン、武装、座席などが前方に集中し、座席より後ろは単なる空間になってしまうのに対し、前翼式飛行機は武装は前方、座席は中央、エンジンは後方と機体の空間を無駄なく利用でき、通常の飛行機より小型化、軽量化が可能という理論がありました。 また、震電は後退角のついた主翼、双尾式の垂直尾翼、6枚羽根のプロペラなど、数々の特徴を備えていました。 #ハセガワ #戦闘機 #日本軍
J006 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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日本陸軍四式戦闘機 キー84I型甲 疾風(FLANK)
昭和19年4月、キ84は4式戦闘機疾風(はやて)として正式採用され、終戦までに約3500機が中島飛行機で生産されました。2000馬力のハー45エンジンを搭載、624㎞と日本の量産制式戦闘機の中では最高の速度と20㎜機関砲2門、12.7㎜機銃2基の重武装は戦局が次第に悪化してきた当時、第一線の戦闘機部隊から大東亜決戦機として期待され、フィリピンのレイテ島決戦、沖縄戦、満州や日本本土防空戦に日本陸軍機の中心となってP51ムスタングやF6Fヘルキャットを相手に善戦しました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61013 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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日本海軍零式艦上戦闘機52丙型A6M5c(ZEKE)
太平洋戦争の全期間を通して活躍し続けた零戦の中で大戦後期に登場したアメリカ軍の新鋭機に対抗するために開発されたのが零戦52型です。特に52丙型は零戦の最終型属し、重装甲、強武装で知られています。主翼は32型同様50㎝ずつ詰められた11mで翼端は丸く成形されました。エンジンは栄21型ですが、排気管を単排気管としてロケット推進機同様の効果を生み出し性能アップがなされ、最高速度は540㎞に向上しています。武装は強力な20㎜機関砲に加え13㎜機銃が左右1丁ずつ装備され、機首の13㎜機銃と合わせて5丁もの機銃が装備されました。正式採用は昭和19年10月、93機が三菱で生産され、中島でも生産されたと言われています。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61027 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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日本海軍 艦上戦闘機 三菱A6M5 零式艦上戦闘機52型
零戦52型シリーズは総計10,370機も生産された零式ファミリーの実に60%を占めており、まさに日本海軍の主力戦闘機でした。昭和18年後半に登場した52型は、ソロモン航空戦、中部太平洋、フィリピン、沖縄、本土防空戦など戦争末期の日本海軍の主要航空戦に参加しましたが圧倒的なアメリカ陸海軍の戦力の前に苦戦を強いられ、多くの損害を出してしまいました。 #ハセガワ #戦闘機 #日本軍
J007 無し 航空機 1/48ちょこ大佐
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零戦32型 日本海軍零式艦上戦闘機32型(A6M3) HAMP
零戦は太平洋戦争の全期間を通じて海軍の主力戦闘機として活躍、日本が生んだ世界的な傑作機のひとつに数えられています。いくつかのタイプがあり、最初の11型、その改良型の21型に続いて戦争の中頃に登場したのが32型です。エンジンを21型の栄12型からより大出力の栄21型に換装し、主翼を翼端で左右各50cmづつ切り詰めると共に翼端を角型にする変更を受け、最高速度は約540㎞と21型より10㎞程速くなるとともに加速、上昇力なども向上しました。また、翼端が角型の主翼を持つのは零戦の中でもkの32型だけで、連合軍のコードネームもジークではなくハンプ(HAMP)と呼ばれていました。 #タミヤ #戦闘機 #日本軍
61025 無し 航空機 1/48ちょこ大佐