縄文時代

縄文時代

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日本において最終氷期の終焉とともに到来した縄文時代は、海外の考古学では新石器時代に分類される。
しかし、海外の新石器時代が農耕や文明を伴う比較的大規模なものになる事に対して、
縄文時代は細々とした狩猟採集生活に特化している点が特徴である。

最終氷期の終焉と共に、土器の使用が始まるのも縄文時代の特色である。
土器自体は中国南部で最も古いものが出ているが、いわゆる縄文土器の用途は出現初期の土器のもの(動物性油の抽出)と異なり、主にドングリ類の煮炊きに使われている。
これは大型獣の狩猟一辺倒であった旧石器時代と全く異なる様相を呈しており、最終氷期の終焉で日本列島が大陸と切り離され、列島の気候・植生が大きく変わった事が強く影響している。
島嶼化によって大型獣は滅び狩猟対象は小型化、石器が小型になり、さらにそれだけでは生活できないので植物の利用が進んだ。

縄文土器は出現期には模様が簡素であったのだが、草創期から早期の南九州や、前期以降の東日本で芸術性の高いものが作られるようになる。
土偶や石棒といった呪術的なプリミティブアートも作られるようになる。
土偶や人型製品の起源は西日本なのだが、著しい発展を見せるのはやはり東日本である。

縄文文化は、最も温暖であった縄文中期(約6000年前)に最盛期を迎えるも、その後は寒冷化によって衰退の一途を辿る。
中期に36万人いた人口が、晩期(約3000年前)には8万人に減ってしまった。
縄文時代後半期の慢性的な食糧不足は稲作受容の土壌を作り、のちに弥生時代に突入するのである。

縄文人は特徴的な人々であった。
身長が低くがっちりとした豆タンク体型に寸詰まりの頭というユニークな人相をしており、メラネシア人などと共通する簡素な構造の歯を持ち、比較的彫りの深い顔をしていた。
最新の遺伝分析によって、縄文人は現在のアンダマン諸島に分布している狩猟採集民と系統的に近縁である事や、狩猟採集生活に適応した結果、体質的に太りやすくなった事も判明している。
そして沖縄人や北海道のアイヌが縄文人の影響を強く受けているとされ、実際骨格的にも縄文人にそっくりである。
逆に近畿や四国では縄文人の遺伝子が希薄である事も判明した。

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