ミューズは微笑み続ける
モーツアルト/ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503彼を愛して已まなかった音楽の女神は、現世の彼の苦悩など、刹那の痛みとでも言いたげに微笑み続ける。 モーツアルトは自分と聴衆の間にできてしまった音楽的な大きな隔たりを埋めることができないまま失意と焦燥の中にいた。 それでも彼の音楽はアポロ的な美しさの中に、変わらぬ気品と天凛をたくまずして纏い、「彼の時代は去った」と心に言い聞かせたい凡百の作曲家の芸術家としての良心に悩ましい痛みを抱かせ続ける。 このピアノ協奏曲以後、彼はわずか2曲のピアノ協奏曲を書いたのみでこの分野にはもう、戻っては来なかった。彼が待ち望んだピアノ・フォルテの技術的進歩は彼の音楽にはついに追いつけなかった。 そして彼のピアノ協奏曲以後、その分野は、遅ればせながら革新的な発達を遂げたピアノ・フォルテ=グランドの登場までベートーヴェンの指の下からブラームスを、ショパンをリストをシューベルト達を経てその表現力とともにスケールを豊かなものにしていった。 しかし、誰一人としてモーツアルトの純粋を掴んだものはいなかった。 彼が作り続けた音楽は、もともと地上のわずかな人生の中で聴くだけの音楽ではなかったのかも知れない。第1楽章 アレグロ・マエストーソ 第2楽章 アンダンテ 第3楽章 アレグレットこの協奏曲にはカデンツァが残されていない。簡単なモーツアルトの即興を行うための鉛筆書きもなかったようだ。でも、この曲がもし、何度か演奏される機会に恵まれていたならば、きっとモーツアルトは素晴らしいインプロヴィゼーションを用意したに違いない。大衆との音楽的離反は彼の天啓を発揮する場所を容赦なく奪った。シンプルな中にスケール豊かなジュピターを思わせるファンファーレ。白磁のように裡にかすかな碧を秘めたピアノの美しさ。提示部でふと感じさせる短調への心の移ろいが、若いモーツアルトから老成の影を見せる。カデンツァ:フリードリヒ・グルダ様々な音楽家がカデンツァを用意した。でも、それらのいずれも、木に竹を接いだような違和感の中に音楽を滑落させる。少なくてもグルダのピアノにはその即興性が意識されている。 第2楽章のアンダンテはどんなにゆっくり歩んでも速すぎることのない時間を辿るように優しく、しかし万に一つもロマンティックな粘りを感じさせず、ただ微笑むように通り過ぎる。淡々としてしかし、心にしみる。 第3楽章、弦楽器で示される快活な主題。軽快なロンドが回帰した後の短調の翳りが美しい。 モーツアルトの活力がまだ芯に籠もっているようなエピソードの魅力。力強いコーダ。 プロとしての作曲家は、彼に降りてくる作為なき創造のヒントに、プロであることの根幹を動揺させながら、まるで現世で聴かせることを断念したような音楽を作り始めた。 まるで音楽の申し子に回帰したように。グルダのピアノ、アッバード指揮VPOで CDはhttps://muuseo.com/Mineosaurus/items/387?theme_id=43332 モーツアルト/ピアノ協奏曲第20,21,25,27全4曲2枚組(廉価版) | MUUSEO (ミューゼオ) https://muuseo.com/Mineosaurus/items/387?theme_id=43332 Mineosaurus