1968 12TH QUARTZO BRABHAM BT24 J.RINDT

0

ヨッヘン・リント 初のPP
ブラバム1年で離脱 BRABHAM BT24

1968年リントはブラバムに移籍
チームメイトはオーナーのJ・ブラバム

R6フランスGP予選で自身初のPP
リントのキャリアPPは10回
予選では2度のPPなど12戦中
ジャック・ブラバムに11勝と圧倒

決勝は2度の3位表彰台があったが
それ以外の10回はすべてリタイア
ジャックも入賞わずか1回
チームブラバムもわずか10ポイントで
前年度チャンピオンチームとは思えぬ低迷

リントは1年でブラバムを離脱
翌1969年はロータスに移籍

モデルはQUARTZO
R3モナコGP仕様 予選5位→決勝リタイア
旧型BT24でのリントのラストレース
BT24はこの後南アフリカのプライベーター
チームガストンに売却
またフランク・ウイリアムズも購入
その後シルビオ・モーザーに渡り
1969年R10アメリカGPで6位入賞している

⏬BT24 GUNSTON
https://muuseo.com/FW12C/items/1999?theme_id=34513
⏬BT24 SILVIO MOSER
https://muuseo.com/FW12C/items/1969?theme_id=34513

1969 (20TH) Quartzo (Team Gunston) BRABHAM REPCO BT24 S.TINGLE
ローデシア出身 サム・ティングル 最後の出走 BRABHAM REPCO BT24 サム・ティングル ローデシア出身 ローデシアは現在のジンバブエで F1での同国出身エントリーは3名のみ ティングルは隣国であった南アフリカGPのみを スポット参戦1963年~1969年で5回出走 1969年はプライベターTeam Gunston マシンはブラバム レプコ BT24 開幕戦の南アフリカGP 予選はタイム出した中で最下位の17位 決勝はトップから7周遅れながら8位完走 キャリア5回の中でベストリザルト ティングルはこれがF1最後のレースとなり 最終レース時の年齢は47歳であった F1本戦ではポイント獲得はならなかったものの F1非選手権では3度の入賞がある モデルはQuartzo 南アフリカGP仕様 予選17位→決勝8位 Gunstonは南アフリカタバコで ブランドカラーはオレンジ 前年の1968年にF1で初めて タバコのスポンサーカラーを マシンに取り入れたのが このプライベートチームであった
https://muuseo.com/FW12C/items/1999
1969 16TH SPARK (SILVIO MOSER RACING) BRABHAM BT24 S.MOSER
シルビオ・モーサー 自チーム立ち上げ キャリア2度目の入賞 BRABHAM BT24 シルビオ・モーサー スイス出身 1968年プライベートチームにて R5オランダGPで5位入賞 1969年は自チームを立ち上げ Silvio Moser Racingとして ブラバムの車体を購入して参戦 プライベートチームで競争力は低く 型落ちマシンで予選では常に下位争い R10アメリカGP予選18台中17位 決勝は完走6台のサバイバルを生き残り レース108周の10周遅れながら6位入賞 自チームをポイント獲得の歴史に名を刻んだ 翌1970年はグリエルモ・ベラシが製作した ベラシにマシンを変更して参戦したが 決勝は進出は1回のみ この年限りながらベラシという コンストラクタ―も記録上存在する シルビオ・モーサーは 1973年スポーツカーレース中に 残念ながら他界 享年33歳 モデルはスパーク R10 アメリカGP仕様 予選17位→決勝6位 プライベートカラーのオレンジの車体に リアウイングのイエローが際立つ1台
https://muuseo.com/FW12C/items/1969

Default