ドリームキャスト【SEGA】

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頑張れ!湯川専務!

ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガ)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。

ソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStationに劣勢を強いられていたセガサターンの次世代機として社運を賭けて開発され、1998年(平成10年)11月27日に日本国内で第6世代ゲーム機の先陣として発売された。

最大の特徴として、インターネット通信用のアナログモデムを標準搭載した点が挙げられる。最高通信速度は日本国内向け純正品の場合33.6Kbpsで、本体からの着脱が可能だった。2000年(平成12年)7月に100BASE-T(ソフト側では10BASE-Tとしか使われなかった)LANアダプタ・「ブロードバンドアダプタ」が通販専売品ながら発売された。なお、モデムを標準搭載した家庭用ゲーム機は1996年(平成8年)3月にバンダイから発売されたピピンアットマークに次いで本製品が2番目である。

「ドリームキャスト」の名称は候補を募り絞っていったもので特定の命名者はいない。dream(夢)をbroadcast(広く伝える)という願いを込めた造語である。当時はPointCast等のPush技術が未来の情報配信技術として紹介されており、これに影響されたものと推測される。ユーザの間では「ドキャ」、「ムキャ」、「ドリャス」、「DC」、ロゴマークの渦巻きから「なると」など様々な略称が用いられたが、セガ自身が「dricas.com」というドメイン名を取得したこともありドリキャスが公式の略称となった。(ちなみにこちらではドリキャスと呼んでいた)

外見はセガサターンと比べて重箱のような正方形に近いアスペクト比で小型・軽量となっている。
本体カラーはホワイトのみであるが、後に限定仕様でカラーバリエーションが展開された。
ディスクドライブはトップローディング式で、ドア(トレイ)部分に「シンボルマーク(渦巻きとDreamcastのロゴタイプ)」がある。
この渦巻きは地域によって配色が異なり、日本とアジア地域ではオレンジ、北米地域では赤、欧州などコンポジット信号にPALを採用している地域では青が使われている。本体真正面中心に「SEGA」、その右側には「Windows CE」のロゴがそれぞれプリントされている。
ドア左側に電源ボタン、右側にオープンボタンがついており電源が入ると中心の三角形の部分がオレンジ色に光る。背面に1か所、底面に3か所、排熱用の通気口があり、右側にファンを備えた排熱口が設けられている。リセットボタンはついていないが後述のコントローラによるソフトウェアリセットで可能となる。
接続端子は、コントローラポートを4個装備し、コントローラーや周辺機器の同時接続が可能である。ただし、ポートを分配するマルチタップは存在せず、最大接続台数は4台までとなる。
背面にはAC電源端子・映像出力端子・シリアル端子と、本体出荷時にはモデムが装着されているエクステンションポートがある。

ハードウェアは日立製作所(後のルネサス エレクトロニクス)が新開発したCPU・SH-4と、英・VideoLogic(後のen:Imagination Technologies)社と日本電気半導体部門(後のルネサス エレクトロニクス)の共同開発によるグラフィック描画エンジンPowerVR2を採用し、3DCG処理に特化したシンプルな設計になっている。これは前世代機であるセガサターンが映像処理用のチップが2基搭載された特異な設計となったため製造コストが高くなった事の反省を踏まえたこと、リスクは高いが国内での製造・調達がしやすいこと、競合製品の初代PlayStationを研究した結果が反映されている。なお家庭用ゲーム機としては初めて法線マッピング専用のハードウェアを備えていた。

マーケティング上の理由から、雑誌媒体などで行われた「128bitのゲーム機」というアピールは、SH-4内蔵のベクトル型浮動小数点演算ユニットが32ビット浮動小数点演算を4本同時に行えるため、「32bit×4 = 128bit」相当ということで、サターンの「64bit級」から続くお家芸である。(書いてることは難しいが今のCPUで言うクアッドコアのような物だと考えればいい。)
CPUが1命令で扱えるデータのビット長が128bitというわけではない。

ソフトウェア面ではセガがマイクロソフト本社およびマイクロソフト日本法人と共同開発したWindows CEのカスタマイズ版をOSとして選択することが可能で、DirectXや通信機能に対応している。開発ツールもWindowsベースの物も用意されていた。しかし、メモリ使用効率のオーバーヘッドなどが大きかったため、実際には多くの開発会社は Windows CEを選択せずセガの用意した内製の専用のOSを使用していた。なお、当時のゲームハード用のOSは、現在の物とは異なり組み込み用分野に使用されるソフトウェア基盤に近い、プログラムのロードやメモリー管理のみに特化した極めてシンプルで原始的な物だった。

他機種にはない機能として、対応したゲームに限られるものの周辺機器の「VGAボックス」を使用してパソコン用のディスプレイやテレビのVGA端子に接続し、VGA・31kHz出力のVGA解像度画面でゲームを遊ぶことができた。また、この「VGAボックス」はAV端子とS端子に接続する機能も搭載されており、スイッチによりVGA端子かAV端子の出力に切り替えることができた。

今までのセガのゲーム機とは異なり、本体性能を底上げする拡張機器(メガドライブで言うところのメガCDやスーパー32X、セガサターンで言う拡張(4MB)RAMカートリッジ、他社の製品だとNINTENDO64の拡張パック等)は一切発売されなかった。

なお、エクステンションポートに接続できる機器として、モデム・ブロードバンドアダプターの他に2001年(平成13年)発売の「ドリームキャスト・カラオケ」と、開発中止となったアイオメガのZipドライブの存在が確認されており、この2つは同社のメガCD及び、任天堂のサテラビューや64DDと同じく本体の下に置き重ねて接続する形態となっていた。

GD-ROMはソフトウエア供給媒体としてヤマハと共同開発した光ディスクであり、倍密CD-ROMとしての機能と同等形状で1GBの容量を持つ。その他でGD-ROMを再生する機器はアーケードゲーム媒体以外ではほとんど存在せず、事実上ドリームキャスト用ゲームソフト専用規格のディスクとなった。

ドリームキャストソフトの2トラック部分はCD-DAフォーマットになっており、通常は「これはドリームキャスト用のゲームディスクです。1トラック目にゲームのデーターが入っていますので、再生しないでください。」という女声アナウンスが収録されている。ソフトによってはキャラクターのトークやBGMに差し替わっているなどお遊び要素があるが、ドリームキャスト以外の機器で2トラック以外のデータ領域を再生すると機器破損の恐れがある。また、機器によってはCD-DAと認識せず再生できない場合もある。

附属の標準コントローラはセガサターンのマルチコントローラのデザインを基とした大きめのもので、上部に2つの拡張スロットを装備しているのが特徴。(写真5)
形状の制約と「利用者に引っ張られている感じを与えない」という理由でケーブルはコントローラの下側から繋がっているが、上側からケーブルが出た形状に慣れている人はコントローラ背面に用意されているスリット(凹部)にケーブルをはさみ込むことで、擬似的にコントローラ上側からケーブルが出ているようにすることもできる。

アナログ方向キー(アナログスティック)と、アナログL/Rトリガー(一般的なLRボタンとは異なり、比較的ストロークが深く、押し込み具合で入力が異なる)、方向キー、X・Y・A・Bの4個の丸型のボタンと、三角形のスタートボタンが採用されている。
方向キーは任天堂が実用新案権を取得し、任天堂のゲーム機に搭載している「十字キー」と外観が酷似しているが、任天堂の実用新案権は形状によるものではなく内部構造についてのものであり、当コントローラは内部構造が異なっているため、任天堂の実用新案には抵触しない。
ちなみに、任天堂の十字キーにおける実用新案権自体も本機発売の4年前にあたる1994年(平成6年)に消滅している。

なお、初期型はトリガーの支点部にスリットが入っていて耐久力が低く、破損による故障が多発した。そのため、トリガーにスリットが無く方向キーを少し高めにセットした後期型が生産され、セガのカスタマーサポートは修理に出された初期型を不良品として後期型に無償交換していた。

また、本体にはリセットボタンが搭載されていないため、ゲームの強制リセットはXYAB同時押し+スタートボタンで行う。

このコントローラーがまた使いづらかった…そして端子部が非常に壊れやすかった印象もある。

拡張スロットには液晶表示付メモリーカード「ビジュアルメモリ」、振動パック「ぷるぷるぱっく」、音声入力機器「マイクデバイス」、デジタルカメラ「ドリームアイ」などが装着できる。(写真6)
これらの組み合わせで、ビジュアルメモリの液晶画面にキャラクターを表示させながら、ぷるぷるぱっくで振動させるなどの表現ができた。反面、接続された各種デバイスによるコントローラ経由の消費電力が増えた。
当初は画面に向かってダイレクトに座標指示するライトガンの機能を追加する「ポインティングデバイス」、コントローラ自体の動きを検出して操作を行う「Gセンサーデバイス」(後に登場することとなるWiiリモコン、PS3のSIXAXIS相当の機能をつけるオプション品)も企画されていたが、発売はされていない。
ケーブルが後ろ側から出ているのには、そのときに操作しやすいように、という意図もあった。

本体の起動時のデモンストレーションは涼しげな音色にあわせてオレンジ色の玉が画面を跳ね回り、最後に渦を巻いて「Dreamcast」と表示され、ゲームソフトか内蔵のシステムソフトが起動する。この起動音は坂本龍一が作曲したもので、その音声はアルバム『CM/TV』に収録されている。
内蔵のシステムモードはドリームキャスト本体のCDドライブのドアを開けている状態か、ドリームキャスト用ゲームソフトが挿入されていない時に起動する。システムモードではビジュアルメモリのデータ管理、内蔵時計の管理、CDプレーヤーがある。CDプレーヤーは画面中央に3DCGのCD(レーベルデザインはオリジナル)が表示され、ドライブの動作に合わせて画面上のCDも動く。ゲームディスクやMIL-CDをセットすると、CD-DA部分(→#GD-ROM)しか再生しないが、一部タイトルでは画面上のCDのデザインがタイトルに関係したピクチャーレーベルで表示される。

インターネットモデムにより本格的なインターネット対戦ゲームが楽しめるほか、アクセスのNetFrontをベースとしたWebブラウザ「ドリームパスポート」を本体に同梱したことでWebサイトの閲覧も可能で、次世代のマルチメディア機として優秀な性能を備えていた。開発当初はインターネットモデムの搭載には慎重的であった。

インターネット接続にあたっては、本体のモデムに固定電話回線を接続したモジュラーケーブルを接続し、「ドリームパスポート」やオンライン通信対応のタイトルソフトを使用し、アクセスポイントへダイヤルアップ接続することでアクセスできる。

当時はインターネット黎明期で、この頃は基本的にインターネットはPCを使うことが多かったがとても高価だった為、比較的低価格なハードであるドリキャスでインターネットができる事実は画期的で、インターネットの敷居を下げることに貢献した。

ドリキャスはインターネットブラウザも内蔵しており、HPを見ることもできるのだが、やはり通信対戦やオンラインゲームで使われることが多く、中でも「ファンタジースターオンライン(以下PSO)」の爆発的ヒットは凄まじく、ネトゲ廃人という言葉を生み出した程人気が浸透した。

当時はまだ常時接続のブロードバンド網が発達しておらず、電話回線を使ってインターネットに繋ぐ時代であり、普段使われていたアナログ回線はインターネットを使う間は電話は話し中で電話と同じで接続中は通信料ではなく通話料がかかり、接続時間次第では高額請求される時代だった。
そこで登場したのがISDN接続であり、デジタル回線を用いて回線を2つにわけることができ、電話とネット両方を利用することができる。
ただ、それでも電話回線であるため、通話料がかかるのは相変わらずで接続時間も限られていた。
そこで出てきた料金プランが「テレホーダイ」と呼ばれるプランで市内局番であれば深夜23時~翌朝8時まで(俗にテレホタイムと呼ばれる)定額料金で利用することができ、一部では金土はその時間帯からPSOを始めて朝8時に就寝するスタイルが浸透した。

2000年代にフレッツISDNが始まるとインターネットの常時接続という文化になり、テレホタイムの文化も徐々に衰退し、ネトゲ廃人に拍車がかかっていき、今に至るようにまでなった。

~閑話休題~

この機種は今でもレトロゲーマーの間では人気が高く、良ゲーもたくさん出されている。
互換機が多いPSと違ってセガのゲームハードは基本的に下位互換の仕組みがなく、メガドライブや次世代機であるセガサターンやこのDCも本体でしかプレイできない(のちにMDは互換機が販売され、SSはエミュレーターもでき、幾分敷居が低くなった)。
特にDCに関しては使用しているGD-ROMの仕様からもなかなかエミュレートしにくく、移植されていない良ゲーも多く未だに本体の需要が高い。

このDCもPS2に負けず劣らず独自規格が満載されており、特に本体中核になっているCDドライブは完全な独自規格で唯一GD-ROMを読み込むことができる(そのため未だに互換機が作られない要因になっている)。
独自規格はコピー対策の意図が大きかったが一部セキュリティーホールを付いてコピーCDが使える機種もあった。
ただ、データの吸出しもDC本体と周辺機器のブロードバンドアダプターが必要で、特にブロードバンドアダプターは通販専用であったこともあり、今も高騰している。

DCはPSが爆発的なヒットの中で発売され、64ビットを越える(実質)128ビットの次世代機として売り出され、販売当初は湯川専務のCMの効果もあり、爆発的に売れた。
だが、供給が追い付かなかった。
大きな理由はグラフィックスチップであるPowerVR2の開発が遅れ、当初の発売日を遅らせるも出荷台数が確保できないばかりかローンチタイトル(新規ハードと同時販売されるタイトル)の開発も遅れ、頑張って買ったとしてもソフトが少なかったことも大きな痛手だった(このチップを共同開発していたのはイギリスのVideoLogic社とNECの半導体部門であることから今でもNECに根に持ってるコアなファンも多いとか)

この事実が結局最後まで足を引っ張った上にライバル機は次々とヒットを重ね、大作を出したころにはもうDC自体がもうマイナーなハードになってしまい、このハードを最後にセガはゲーム機の製造販売事業から撤退することになった。

総評(・∀・)

DCは今でも手元にあるファンが多い、ハードの性能は当時としては高く、近未来的なコントローラーデザイン、GD-ROMによる独自の規格や当時高敷居だったインターネットを採用したりとまさに未来の次世代ハードですごくかっこよかった。
ただ、このハード自体の性能に時代が追いついていなかった感もある。
グラフィックスチップの件も開発が遅れたのも高性能なチップをまだ容易に量産できる時代ではなかったからじゃないかと個人的には思う。

ただ、このハードはインターネットの普及やネットゲームの基盤づくりに大きな貢献をした偉大な機種だと思っている。

結論 時代に愛されなかった最高のゲーム機。

もしこのDCが予定通りの販売展開でインターネットが今のような回線普及で尚且つサードパーティーも充実(まぁ、これが一番難しいのだが)したならばあったなら今も後継機がガンガン作られたことだろうなぁ…ほんとに惜しいと思います。

ちなみに今回、数年ぶりに押し入れから出してカバーを開けて入ってたソフトは泣きゲーとして評価が高いKANONでした、昔いろんなハードで散々やった思い出のゲームです。
写真を撮った後、プレイしようと思ったらAVケーブルが行方不明、恐らく断捨離の際に処分した可能性が高いのでハードオフに行って探したのだが売ってなく泣く泣く注文する羽目に…HDMIの普及は偉大だと感じました。

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    MOYO.

    2020/06/08

    おぉ!ドリームキャスト!

    最近ドリキャスのバイオハザード・コードベロニカをプレイしている私です(笑)。

    ホントに産まれた時代が早すぎたハードとして、伝説に残る機種だと思います(笑)。

    有難う御座いますm(__)m。

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      黒﨑専務

      2020/06/09

      MOYO.さん コメントありがとうございます。

      私の中ではバイオハザードは2までで止まってますんでコードベロニカはやってないです。
      今手元にあるのはKANONとアーケード版の移植作のスポーンとクレイジータクシーですね、ギガウイングもあったんですがやっぱり行き方知れず(´・ω・`)そしてスポーンは今買うとまた高い高い、ドリキャスの名作ソフトはどれも高いしどこそこに売ってないんですよね。
      先日は起動確認もしたかったんですが上記のようにAVケーブルが無くてできませんでしたwww(結局注文しました)

      ドリキャスはほんと時代を間違えて生まれてきた子だと思うんですよ。
      ただ今思うにやっぱりあの時代に生まれてきたからこそ名機になれた気がします、あの時代に生まれたからこそ上記の通りインターネットの敷居を低くしたのに貢献をできたと思うし、今の時代はスマホゲームが既存のゲーム機を淘汰する時代なのでもし、DCみたいなゲーム機ができてもスマホに淘汰されて終わりだと思います(いい例がXBOX360、コアなゲーマーにはいまだに大人気ですがライトユーザーには扱いにくいっていう)。

      スマホゲームが蹂躙する今のゲーム業界を考えると当時のSEGAがとった道はそんなに悪い道でもない気がします。

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  • スゴイ詳細コメントです!

    勉強になります!👾

    自分ももっとわかりやすくかかなければ、、、

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      黒﨑専務

      2020/09/21 - 編集済み

      コメントありがとうございます。いえいえ、私こそ勉強不足で感情が出過ぎてつたない文章です(;´Д`)ただ自分の場合自分の興味のあるモノに関しては饒舌なのですがそうでない物には割とドライなので内容がスッカスカな解説を見かけたら…察してください(笑)

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