黄銅鉱 (chalcopyrite) 荒川鉱山 #0127

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黄銅鉱と細かい水晶が共生した標本です。

荒川鉱山は熱水性鉱床の鉱山で、黄銅鉱をメインの鉱物として採掘していました。1700年(元禄13年)に発見され、1738年(元文3年)からは、秋田藩(久保田藩)の直山として開発が進められました。1876年(明治9年)に明治政府から盛岡の瀬川安五郎が払い下げを受け、同年に「嗽沢抗」から大鉱脈が発見され、国内屈指の銅山として栄えました。1896年(明治29年)に三菱合資会社が鉱業権を所有した後は製錬所や中央選鉱所、発電所などの設備の近代化が図られると共に、荒川村役場や郵便局、駐在所、浴場、病院、劇場「共楽館」、大盛小学校などが建設されました。共楽館では、演劇や映画の他、宝塚歌劇団や歌舞伎の公演なども行われていたということです。最盛期には人口約4000人、周辺を含めると8000人に達し、県内有数の都市となりましたが、1935年(昭和10年)に資源枯渇により三菱鉱業尾去沢鉱業所荒川支所に縮小され、その後1940年(昭和15年)に閉山しました。

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