銅藍 (covellite) 加納鉱山 #0657

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閃亜鉛鉱、黄銅鉱を交代して二次的な銅藍が生成されています。1~2枚目は背景をソフトウエア処理しています。

加納鉱山は江戸時代には岩尾銀山と呼ばれ、主に銀が採掘されていましたが、操業は寛永年中から明暦(1655年~1658年)頃までで、文化年中(1804年~1818年)には休山になっていました。1905(明治38)年から加納鉱山(株)が黒鉱鉱床として本格的に再開発し、大正にかけて主に銀と銅を採掘、他に金、鉛、亜鉛、石膏、重晶石を産出しました。一時は第二の小坂鉱山とも言われましたが、大正末期には衰退、1943年(昭和18)年に会津鉱業に買収され、近隣の与内畑(よないはた)鉱山に吸収されました。1972年(昭和47年)に与内畑鉱山と共に閉山しました。

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