アーンとマスネのピアノ協奏曲 (ロマンティック ピアノ コンチェルト 16)

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マスネからすれば、アーンは師弟の関係であったのであり、アーンはサン=サーンスと並び、マスネの弟子でもあったという関係性が湖のカップリングに影響してるんだろうか。
両者の、それぞれ唯一のピアノとオーケストラのための協奏曲はマスネが1903年アーンのホ長調が1931年に書かれている。作曲年齢と個性が彼らの音楽を趣味的に異なる印象を与えるものになっている。ここは中身ではなく先ずは所蔵のCDの展示なので詳細な印象は避けたいがちょっと長いか。

大まかにいえば、マスネの作品は彼が60歳を越えて作曲した作品。
でも、枯れているかというとそうではなく、1903年の作曲ではあるが、若い時の曲想を晩年になって纏めたもので、若い情熱とさわやかなリリシズムを緻密な晩年の技巧でつないでいる佳品です。
趣味的には第2楽章がいいですね。静謐が重々しいところから生まれていて聴かせどころを誤るととんでもない、”猫の額に石灯篭”枠に合わない音楽になりそう。チッコリーニのような洒脱で軽いタッチのピアノで聴きたい。高音のヴァイオリンが実に瑞々しくからみ、品のいい叙情性に溢れています。
第3楽章はエキゾチックな色彩のある美しい楽章で、音と音の間に漂う雰囲気が丸く柔らかくていいです。

マスネ ピアノ協奏曲 変ホ長調 (1903年)
 
第1楽章:アンダンテ モデラート
第2楽章:ラルゴ
第3楽章:アレグロ -スロヴァキア エア(スロヴァキアの歌)

アーン ピアノ協奏曲 ホ長調  (1931)

第1楽章:モデラート :インプロヴィゼーション
第2楽章:ヴィフ(速く):ダンス
第3楽章:トッカータ フィナーレ:夢見るように

https://youtu.be/xUJbU8Iq7Sc?si=AwaMxAIMN-XfDvnn

このような曲が果たしてコンチェルトとして受け容れられたのかボクは当時のフランスの事情に詳しくないからわからないけれど、サロンからそのままオーケストラの中に誘われたような印象である。
彼の師の一人であったサン=サーンスにもこういう抒情を聴くことがある。
彼は天才少年時代から当時の大家であったマスネに生涯にわたって庇護を受けた。
庇護とは音楽についての師というだけではなく、性的な意味も含んでのことであり、三歳年長のプルーストとの親交もただ芸術のみの交遊であったとは思いにくい部分があるようだ。

その辺の真偽のほどはわからないけれど、とにかく優しく美しき少年は幼くしてその才能を様々な分野の芸術家に認められた。

特に歌曲の才能は凄かったらしいのだけれど、これがボクのもっとも苦手な分野でいまだに敬しつつ遠ざけている。
それにしても彼の作品は華やかな協奏の煌めきが感じられない。

そのかわりに何とも穏やかな協調と親和がある。

第1楽章の即興的なパッセージは師サン=サーンス譲りでテーマの簡潔さと韻を踏むように折り重ねられる弦楽の流れはマスネをやはり思わせる。
ヴァイオリン協奏曲の第1主題もそうだけれど、この人はそう数え切れぬほどの楽興が滾々と湧き出るようなタイプではなかったのかも知れない。
少し水っぽいけれど洒落ていて印象的なテーマである。
ピアノは流石に流麗でチェロの大胆な表現もおとなしくはあるけれど、それなりにハッとするような美しさを生む。
残念ながらあまりいい演奏がない。

聴きものは第3楽章の最初の部分。

この暖かな哀しみはどこから来るのだろう。
弦楽の惻々と沁みるような旋律はただ「哀しい」と主観的に訴える音楽ではなくて言葉を飲んだまま涙する人の口元にある微笑みの意味を感じさせる。
詩が直接的な言葉を避けて 言葉のイメージを避けたまま内容を心に伝えるように音楽が操られる。

音楽にはもともと詩的要素があるものだけれど、この第3楽章は第1楽章の主題が回帰する部分まで時間をかけて情景を音化して行く。

情景の協奏曲とでも言おうか、掘り出しものでした。

Piano:スティーヴン・クームズはイギリスのピアニストボルトキエヴィチとかスクリャービンとかヴィエルネとか、ちょっと変化球が多い
Orch.:BBCスコティッシュ オーケストラ
Cond.:ジャン=イヴ オソンス

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