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外地にあった百貨店

戦前や戦中、外地にも日本の百貨店がたくさんありました。
在留邦人向けに商売をするというのも理由の一つですが、進駐している軍や政府機関、現地進出企業へ物品を納入するというのが、本来的な理由だったらしいです。
また昭和12年に施行された百貨店法で百貨店の新設、増床、営業時間などに縛りがかかったことも、外地進出を促進した理由の一つと言われています。

大丸や伊勢丹、三越、松坂屋といった現存する大手の百貨店も進出していましたし、今はなき白木屋や大都市圏にはなかった地場百貨店の一部も大陸に出店していました。

百貨店ではなく卸売だったり、貿易会社だったりと、一般向けでない支店や出張所も含みますが、中国大陸を例に取ると具体的には、

大丸:天津、南京、上海、蘇州など
三越:北京、上海
松坂屋:北京、天津、南京、青島など
白木屋:北京、済南、漢口など
高島屋:北京、済南、南京など

地場百貨店では長崎の岡政や門司の山城屋も上海に進出。
変わったところでは電鉄系の東横が漢口と上海で物販以外に運輸や食堂、牧場経営を、天津では阪急が軍御用達の物品販売をやっていたそうです。

そんな中で今回の「営口百貨店」ですが、これは謎。

手元資料では当時、営口で百貨店を開いていたのは平本洋行という貿易会社で、昭和10年から小売部門を百貨店化したとありますから、そこが「営口百貨店」と名乗っていたのかもしれません。
平本洋行は昭和12年には新京に平本百貨店も開いており、こちらは絵葉書にも建物が写っていますが、営口の店舗は見当たりませんでした。

#マッチラベル
#戦前
#満州
#営口
#百貨店
#昭和レトロ

※参考資料:日本百貨店総覧

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    2020/7/12

    T. S

    営口は満州第2の港町で、撫順炭鉱の積出港だったそうですから、満州国時代はなかなかの賑わいだったのでしょうね。ラベルの絵のデパートの建物も立派です。
    この電話番号はどういうシステムだったのでしょうね?1464というのが市外局番なのでしょうか?レトロなデザインがいいですね。

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    • File
      2020/7/12

      showa_express

      外地の電話番号を他の満州系広告と見比べると、ほとんどの番号が2桁から4桁で表記されています。

      中には大連1-1111、奉天2-2222のように一見、先頭に市外局番のような数字の振られた記載もありますが、異なる都市でも先頭の1桁が同じ番号だったりするので、市外局番としては役に立たなそうです。

      たいていの場合は「大連1111」「新京333」のように書かれていますから、このラベルでは百貨店に複数の電話があり、その市内電話番号を羅列しているだけじゃないのかなと思います。

      電話番号を複数持っているのは便利だし、たぶん店や会社のステータスにもなったと思いますので。

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