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4月19日は乗馬許可の日
きょう4月19日は明治4年、平民でも乗馬が許されるようになった「乗馬許可の日」なんだとか。 なので馬に関連した戦前マッチラベルを。 1:京都練兵場での学生馬術大会告知 2:定番の競馬(中山) 3:大阪・城東練兵場での馬の博覧会 4:馬車などを使った兵庫の運送店
マッチラベル 戦前showa_express
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通天閣の空中カフェ
戦前、通天閣にあったという「空中カフェ」のマッチラベル。 詳細は不明ですが、「空中カフェー」の看板が(たまたま)写ってる絵葉書が存在するらしい。 背後の額縁状のものは、当時コレクター向けに出ていたマッチラベル専用スクラップブックの貼り込み用台紙部分。各ページ間に薄紙が挟まれており、色移りや擦れも防止されるすぐれもの。 こういうものが商品として発売されるわけだから、やはり日本人というのは昔から、こと趣味に関しては力の入れ方が違うなと感心する。 #マッチラベル #戦前 #通天閣 #カフェ
マッチラベル 大阪 戦前showa_express
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567と書いて「ゴロナ」
567と書いて「ゴロナ」。 カルピスが昭和7年に発売した滋養強壮ドリンクで、今で言う「ガラナ」のこと。 あんまり売れなかったらしく姿を消しましたが、なぜか昭和37年に再発売されたそう。 きっと早すぎたんだ。 #カルピス #戦前 #ガラナ #ゴロナ
マッチラベル カルピス 567(ゴロナ)showa_express
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阪国バスのマッチラベル
戦前の阪国バスのマッチラベル。 納涼特売とあるので夏の割引きっぷの宣伝か何かでしょう。 国道2号で淀川を越えていたのと欄干のデザインから、描かれている橋は淀川大橋と思われます。 そうすると、描かれている軌道は阪神の国道線。 #阪国バス #戦前 #マッチラベル #大阪
マッチラベル 阪神国道自動車 大阪showa_express
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陸軍飛行場近くにあった料理屋のマッチラベル
飛行第三連隊御用達とある料理屋のマッチラベル。第三連隊なので滋賀の八日市(現・東近江)の店でしょうか。 今も部隊の営門が残っているとのこと。 なお、お店の名前は変体仮名入りで「うを民」と書いてあります。 #マッチラベル #戦前 #滋賀県
マッチラベル 八日市/滋賀県 戦前showa_express
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昭和12年のお正月
あけましておめでとうございます。 84年前の昭和12(1937)年は丑年でしたので、当時のマッチラベルを。 今年こそコロナ克服してよい年になりますように!
正月 マッチラベル 昭和12年showa_express
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8月5日はタクシーの日
8月5日は大正元年に日本最初のタクシー会社ができたので、タクシーの日となっているそうです。 なのでタクシー関連のマッチラベルを少々。 1枚目:藤井タクシー。柳河沖端と地名がありますが、福岡の柳川市になる前は柳河町というのがあったようで、沖端には沖端水天宮という神社が現存してますから、これは福岡のマッチラベルですね 2枚目:中渋谷とあるので、今の渋谷界隈にあったものでしょう。中渋谷以外に上渋谷、下渋谷という村があって、それが合わさって渋谷町に発展。タバコを手にしたシルクハットの紳士が描かれてますね 3枚目:徳山のタクシー会社。毎日館前とありますが、おそらく映画館か劇場でしょうね。今も徳山の駅近くには毎日という名を冠した劇場があるようですが、関係は不明 4枚目:神戸タクシー。外国人の利用も多かっただろうから横文字が使われています 5枚目:米沢の花輪自動車。三業組合がやっていたようです。三業というのは料理屋、待合茶屋、芸者置屋のことであり、いわゆる花街構成要因だから、そういった場所へ出入りするお客のために始めたのでしょう。車のボディーに電話番号を記す、当時のタクシー業界に多いデザインです 6枚目:神楽坂下の文化タクシー。貨物運輸とあるように、タクシーとトラック運送を兼業している業者もありました 7枚目:駒形にあった駒形タクシー。市内均一 一台一円とあるように円タクです。場所は東京貯蓄銀行際。東京貯蓄銀行は紆余曲折で現在の「りそな」の一部。一応、駒形にはりそなの支店がありますが、この場所が貯蓄銀だったかどうかまでは調べる気力なし 8枚目:これはスタンプ。タクシーとはどこにも書いてありませんが、遊覧とあるのでタクシーかあるいは乗り合いでしょう #マッチラベル #戦前 #タクシー #タクシーの日 #8月5日 #昭和レトロ <雑談> うちの爺さんも戦前、日中戦争への出征前はフォード2台でタクシーをやっていた時期があるそう。 1台は自分で転がし、もう1台は人を雇って営業させ、整備は元看護婦だった婆さんにやらせていたと聞いたことがあります。 その名残で母親の実家は玄関入るとすぐ右手はコンクリートのだだっ広いタタキになっていて、そこに車を止めていたんだとか。 出征が決まって車を売って、車を止めていたスペースは雀荘に改造。 雀荘なら仕入れしなくても商売できるからという理由だったそうで、戦死しても家族が食いっぱぐれないようにとの考えだったらしい。
マッチラベル 戦前 タクシーshowa_express
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ガス式アイロンのマッチラベル
アイロンというと今では電気式が当たり前ですが、その昔、ガスアイロンなるものも存在しました。 ガスの前は炭火などを熱源に使っていましたが、当然燃えかすの掃除をしなきゃならないわけで、メンテナンスに手間がかかるものだったようです。 ちゃんと掃除しないと衣類が汚れちゃいますしね。 ガス式はもともとは1850年ぐらいに海外で開発されたもののようです。 日本では輸入品が主だったようですが、洋服の普及とともに明治43年に国産化されました。 ガスのホースと繋がっていて、本体内部にバーナーがあり、その熱でアイロンがけする仕組み。 取り回しの関係で、一旦は電気式が優勢になったそうですが、昭和6年に火加減の調節ができる新型が出てから勢いを盛り返し、特にクリーニング店や仕立て屋といった業務用で普及していったそうです。 料理と同じで、電気よりガスの方が玄人好みだったのか、はたまた電気とガスのランニングコストの差だったのか。 その時点でのガス式アイロン1台のお値段は3円台後半。 芝浦電気が出していた電気式も似たような値段でした。 電気のコードにしてもそうですが、ガスのホースもアイロンがけで邪魔になるため、こういったお店では天井からホースを垂らして本体に繋いで使っていました。 ガス会社がときたま開く「ガス展」のような催し物で、ガスアイロンが今でも展示されることがあります。 古いクリーニング店やテーラーが現在も愛用している…などという噂もありますが、定かではありません。 マッチラベル自体には「瓦斯アイロン」とあるのみで、会社名、地域など一切不明。 コレクションとしては名古屋系スクラップにまとめられているため、東邦瓦斯である可能性もあるにはあります。 #マッチラベル #戦前 #瓦斯アイロン #昭和レトロ
マッチラベル 瓦斯アイロン 不明showa_express
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ラジオ本放送開始の日
7月12日はラジオ本放送開始の日なのだそうです。 1925年だから大正14年。 基本、戦前昭和を扱っているため、大正マターはほとんど持ち合わせておりませんので、放送つながりで名古屋放送局と京都放送局のマッチラベルと大阪放送局の郵便小型記念印。 JOCKの名古屋放送局は同じ大正14年の7月15日から放送を始めたそうなので、わずか3日遅れだったんですね。 マッチラベルは戦前昭和のもので、ラジオを聞いてニッコリしている家族が描かれてます。 実に楽しそう。 じゃあ、どんなものを放送していたんだろうと想像が膨らみますが、2枚目の京都放送局(JOOK)のマッチラベルには放送種目が羅列されています。 それによると、 ラヂオ体操、経済市況、料理献立、ニュースのほか気象や時報、告知(お知らせ)に子供向け、音楽などなど、今とそれほど変わってはいませんね。 ラジオ体操を最初に放送したのは昭和3年8月1日開始の大阪放送局らしいので、このラベルは少なくともその後ということになるでしょう。 3枚目は大阪放送局新局舎完成記念の郵便小型記念印。 ウィキペディアによると落成式は昭和11年10月21日とありますが、この記念印は11月21日ですね。 押印期間は11月21日から24日までと確かな資料にも出ています。 丸の中に「放」のマークは日本放送協会のマークでしょう。 当時の放送局型受信機や玄関に貼る受信章にも同じマークがあしらわれています。 #マッチラベル #郵便スタンプ #記念印 #戦前 #ラジオ #日本放送協会 #名古屋放送局 #大阪放送局 #京都放送局 #NHK
マッチラベル 記念スタンプ 名古屋、京都、大阪showa_express
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外地にあった百貨店
戦前や戦中、外地にも日本の百貨店がたくさんありました。 在留邦人向けに商売をするというのも理由の一つですが、進駐している軍や政府機関、現地進出企業へ物品を納入するというのが、本来的な理由だったらしいです。 また昭和12年に施行された百貨店法で百貨店の新設、増床、営業時間などに縛りがかかったことも、外地進出を促進した理由の一つと言われています。 大丸や伊勢丹、三越、松坂屋といった現存する大手の百貨店も進出していましたし、今はなき白木屋や大都市圏にはなかった地場百貨店の一部も大陸に出店していました。 百貨店ではなく卸売だったり、貿易会社だったりと、一般向けでない支店や出張所も含みますが、中国大陸を例に取ると具体的には、 大丸:天津、南京、上海、蘇州など 三越:北京、上海 松坂屋:北京、天津、南京、青島など 白木屋:北京、済南、漢口など 高島屋:北京、済南、南京など 地場百貨店では長崎の岡政や門司の山城屋も上海に進出。 変わったところでは電鉄系の東横が漢口と上海で物販以外に運輸や食堂、牧場経営を、天津では阪急が軍御用達の物品販売をやっていたそうです。 そんな中で今回の「営口百貨店」ですが、これは謎。 手元資料では当時、営口で百貨店を開いていたのは平本洋行という貿易会社で、昭和10年から小売部門を百貨店化したとありますから、そこが「営口百貨店」と名乗っていたのかもしれません。 平本洋行は昭和12年には新京に平本百貨店も開いており、こちらは絵葉書にも建物が写っていますが、営口の店舗は見当たりませんでした。 #マッチラベル #戦前 #満州 #営口 #百貨店 #昭和レトロ ※参考資料:日本百貨店総覧
マッチラベル 満州/営口 昭和10年以降showa_express
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福神漬で有名な会社
先日、ココイチのテークアウトを頼んだ際、福神漬は要るか要らないか聞かれたんですが、要らない方にしました。 福神漬は食べられないわけじゃなく、わざわざ率先してまで食べないと、そういうわけです。 なので街中のカレー屋で有無も言わさず付いてきた場合は食べます。 この福神漬は諸説あるみたいですが、とりあえず漬物の酒悦(しゅえつ)が元祖で通ってるみたいで、ウィキペディアのページにも出ています。 それによると登場は明治初頭とのこと。 軍隊の缶詰にもなり、それを故郷に持ち帰ったことで全国に広まったそう。 この酒悦は昭和52年4月に一度倒産してるようですが、現在は東洋水産のグループ企業になっています。 酒悦はもともと上野池之端ですが、同社サイトには本社所在が港区港南になっており、これは東洋水産と同様です。 倒産の理由は、桃屋などの伸長でシェアを食われたかららしいですが、定かではありません。 マッチラベルにある「酒悦福神漬商店」という屋号がいつごろ使われていたのかは分かりません。 現行の企業情報にも出ておりませんでした。 #マッチラベル #戦前 #酒悦 #福神漬
マッチラベル 酒悦 福神漬showa_express
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2つの聖堂を結ぶ橋
今年の初め、お茶の水橋の補強工事で戦時中に埋められた都電の線路が姿を現し話題になりましたが、お茶の水にある橋というと、形が特徴的であるがゆえ、聖橋を連想する向きが多いんじゃないかなあ。 そんな戦前の聖橋が描かれた旅館のマッチラベル。 手前には万世橋の字も見えるので、この旅館は神田川沿いで、この2本の橋の間にあったのかもしれません。 絵のとおりならば、旅館といってもどこか洋館のような佇まいの建物ですね。 地図や資料で探しましたが、それっぽいものは見つけられませんでした。 図書館で戦前の住宅地図や火災保険特殊地図なんかを見れば探せるかもしれません。 #マッチラベル #お茶の水 #聖橋 #万世橋 #神田川 #戦前 #昭和レトロ
マッチラベル 東京/神田区 戦前showa_express
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づぼらや閉店
大阪・新世界にある「づぼらや」が閉店するというニュースが! 関西テレビの独自ダネらしいですが、ツイッターのトレンドにも上がってますね。 残念ながら行ったことはありませんが、ふぐの巨大看板が大阪のアイコンの一つだっただけに寂しい限りです。 とりあえず「づぼらや」のマッチラベルを3枚。 いずれも戦前ものです。 #マッチラベル #戦前 #大阪 #新世界 #づぼらや #昭和レトロ
マッチラベル 大阪/新世界 戦前showa_express
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シキシマパン100周年
パスコの名前で知られる名古屋のシキシマパンが2020年6月8日で創立100周年なのだそう。 1920(大正9)年に始まり、現状ではヤマザキに次ぐ国内シェアとのこと。 桜のマークで知られ、その中央にあるアルファベットのPはパン(Pan)のP。 今回のマッチラベルにはキャンデーストアのものが4種類含まれますが、全て同一店舗のものと思われる図柄で場所は名古屋の広小路。 広小路は通りの名前ですが、「(名古屋・栄にある)朝日神社の隣に敷島パンの喫茶店があった」という文献があり、昭和8年の地図を見ると確かに朝日神社の西側に派出所を挟んで「敷島パン」と記載があるので、ここじゃないかなと思っています。 いわゆる栄エリアになります。 この場所はさすがに空襲を経たとはいえ、神社は今も残ってますし、神社の隣の派出所は現在でも県警の幹部交番として存在してますので、おそらくこの場所かなと。 この場所で確定なら現在はビルになっていて、1階はファミマですね。 キャンデーストアというのは森永や明治といった製菓メーカーもやっていた、自社製品を売る(殆どの場合直営の)店舗で、その名のごとく自社のキャンデーなど菓子類を売っているわけですが、喫茶・軽食のコーナーも併設されている、メーカー直営の売店兼喫茶店ということになります。 なので、敷島の場合はパン屋ですので、菓子というよりパンの売店と喫茶店だったのでしょう。 #戦前 #敷島パン #シキシマパン #パスコ #名古屋 #広小路 #マッチラベル #昭和レトロ
マッチラベル 敷島製パン 名古屋/広小路/栄町showa_express
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何のマッチラベルだか分からない
マッチ箱って、どっちが表でどっちが裏なのかってたぶん決まりはないと思うのだけれども、おそらく店の名前やメーンビジュアルの刷ってある方が表なんじゃないかな。 たとえば、首都圏の立ち食いそば屋で「富士そば」ってあるじゃないですか。 もし、富士そばがマッチを置いていたと仮定して、「富士そば」って店名と美味そうな天ぷらそばの絵や写真の載ってる面、もう片面には都内店舗の所在と電話番号がずらっと印刷されていたとして、この場合どっちが表かっていえば、たぶん富士そばと天ぷらそばの載ってる面が表という理解でいいと思うのです。 マッチラベルってほとんどの場合、箱をばらしてラベルを切り取り、スクラップブックとかに貼って保存してあるんですが、表裏が分かるようにコレクションされてるケースは稀で、その面の情報量が少ないと、もはや何の店なのか、どんな業種なのかってのがさっぱり分かりません。 今回ここに載せた6枚は、そんな中から適当に選んだものですが、いやあ、さっぱり不明ですね。 マッチラベルを印刷するときは表と裏を同時に行うはずだから、使われるインクの色も同じものになると思うんです。色なんか変えてたら金かかりますんで。 隣り合って貼ってあるマッチラベルが同色ならばバラしてあっても「この組み合わせだろうな」と類推できるんですが、そういうケースは稀でして、こういう所属不明で分類不能なものが出てしまうのです。 当時のコレクターの中でも律儀な人はスクラップブックの余白に、収集場所(店名、住所)、収集日、場合によっては誰と会った日にこのマッチを手に入れたか、みたいなことが書いてあることもあるんですが、そんなの例外中の例外ですね。 こうして私の「分類不能/不明」フォルダの中には1000枚以上の身元不明マッチラベルが存在することになるのです。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ
マッチラベル 不明 戦前showa_express