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大連三越の来店記念スタンプ
ちょいと印影悪いですが、昭和13年1月3日の日付が入っている大連三越の来店記念スタンプ。 昭和12年開業とのことで、塔屋付きの鉄筋5階建て。 建物は現存しており、旅行者のブログなどを見るといっときは全体がピンク色に塗られた女性用百貨店になってたが、今はグレーで1階にZARAが入ってるとか。 別図柄のスタンプもあります。 #三越 #満州 #大連 #戦前 #記念スタンプ
記念スタンプ 三越 大連showa_express
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そごう神戸店の移転開業記念絵葉書
昭和8年10月1日、そごうが元町から三宮に移転開業したときの記念絵葉書(1枚目)と封筒(2枚目)。 封筒の表には独特な字体で「店ひらき」と記されてます。 封筒に描かれている建物の線画とほぼ同じデザインなのが3枚目のマッチラベル。 「開業」の文字はないので、時期は関係してないと予想。 #そごう #神戸 #戦前 #絵葉書 #百貨店
移転新装開店 記念絵葉書 神戸showa_express
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外地にあった百貨店
戦前や戦中、外地にも日本の百貨店がたくさんありました。 在留邦人向けに商売をするというのも理由の一つですが、進駐している軍や政府機関、現地進出企業へ物品を納入するというのが、本来的な理由だったらしいです。 また昭和12年に施行された百貨店法で百貨店の新設、増床、営業時間などに縛りがかかったことも、外地進出を促進した理由の一つと言われています。 大丸や伊勢丹、三越、松坂屋といった現存する大手の百貨店も進出していましたし、今はなき白木屋や大都市圏にはなかった地場百貨店の一部も大陸に出店していました。 百貨店ではなく卸売だったり、貿易会社だったりと、一般向けでない支店や出張所も含みますが、中国大陸を例に取ると具体的には、 大丸:天津、南京、上海、蘇州など 三越:北京、上海 松坂屋:北京、天津、南京、青島など 白木屋:北京、済南、漢口など 高島屋:北京、済南、南京など 地場百貨店では長崎の岡政や門司の山城屋も上海に進出。 変わったところでは電鉄系の東横が漢口と上海で物販以外に運輸や食堂、牧場経営を、天津では阪急が軍御用達の物品販売をやっていたそうです。 そんな中で今回の「営口百貨店」ですが、これは謎。 手元資料では当時、営口で百貨店を開いていたのは平本洋行という貿易会社で、昭和10年から小売部門を百貨店化したとありますから、そこが「営口百貨店」と名乗っていたのかもしれません。 平本洋行は昭和12年には新京に平本百貨店も開いており、こちらは絵葉書にも建物が写っていますが、営口の店舗は見当たりませんでした。 #マッチラベル #戦前 #満州 #営口 #百貨店 #昭和レトロ ※参考資料:日本百貨店総覧
マッチラベル 満州/営口 昭和10年以降showa_express
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長崎にあった地場百貨店
アールデコ建築の見事な長崎の百貨店「岡政」のマッチラベル。 もともとは安政元年(1854年)創業とのことで、他の百貨店にもよくあるように大昔は岡政「呉服店」と名乗っていたらしい。 その後「百貨店」になり長らく存在したものの、競争の激化で大丸傘下となって「長崎大丸」に。 最後は「博多大丸長崎店」となったものの、平成23年7月31日をもって閉店したそうです。 さすがにネットが普及している時代なので、閉店を惜しむブログなど散見されます。 マッチラベルを集めていると、閉店してしまったり大手傘下になって名前の変わってしまった地場百貨店のものがそれなりに多く、興味深いです。 #マッチラベル #戦前 #長崎大丸
マッチラベル 長崎 戦前showa_express
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4年で消えた百貨店
昭和の初めごろ、常磐生命が日比谷交差点の角にビルを建てることになり、伊勢丹に出店を打診。 しかし人通りが少なく勝算がないと踏んだ伊勢丹は出店せず、新宿にシフト。 しかし内紛とかあって伊勢丹を飛び出した人物が昭和6年その常磐生命のビルに開業させたのが美松百貨店・・・ということになるはず。 ビルの地下1階から8階までを借りて店を開いたものの、美松内部での内紛や経営不振とかで昭和10年には地下の食堂だけ残して撤退してしまったという、極めて短命な百貨店でした。 資料では地下の食堂だけを残して・・・とありますが、このマッチラベルを見ると1階と2階も飲食関係の営業をしてたみたいで、謳い文句も「味のデパート」。 おそらく過渡期的に3フロアで食堂をやっていた時期もあったんでしょうね。 まあ、伊勢丹の社史あたり見たら出てるのかもしれないけど。 で結局、残った食堂も「相場師の小僧から一大カフェー王になった」といわれる高額納税者でキャバレー「銀座パレス」経営者の榎本正に買収され、跡地はキャバレー美松になったのでした。 #マッチラベル #戦前 #百貨店 #日比谷
マッチラベル 東京/日比谷 戦前showa_express
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今日は帝劇、明日は三越
とは言うものの、大正時代のコピーで謳われる三越は日本橋本店のことで、銀座の三越は1930(昭和5)年開業。 百貨店の広告マッチの図柄で建物を描いているものは、大半が地上の斜め前方から捉えたものなので、このように上から俯瞰したデザインになっているものは珍しい部類に入ります。 銀座三越の場所は変わっていないから、図柄の中で左上が京橋方向、右上が歌舞伎座方向ということになりますね。 #マッチラベル #戦前 #三越
マッチラベル 東京/銀座 戦前showa_express
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その筋で有名な図柄
伊勢丹のマッチラベル。 戦前の百貨店系ラベルは建物あるいはシンボルマークだけの面白みに欠けるデザインが多かった中で、微笑む女性をあしらいカラフルな印刷で、その筋では人気のある一品。 平成時代に刊行されたマッチラベルコレクションのムック本で表紙も飾ってます。 #マッチラベル #戦前 #伊勢丹
マッチラベル 東京/新宿 戦前showa_express
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日本初の冷暖房完備百貨店
南海の難波駅併設の高島屋。 モザイクタイルをデザインしたラベルが美しい。 昭和と言えばやっぱりモザイクタイルだよなあと、見入ってしまいます。 お風呂や台所だけでなく、たばこ屋とか美容院とか喫茶店とか、内外装にモザイクタイルを貼ったお店が非常に多く、とてもおしゃれでした。 目地が汚くなるのがアレでしたけども。 この高島屋、できた当時は「南海高島屋」と呼ばれてたらしいです。 南海のターミナルだったためですが、竣工時の1932年の南海は「電鉄」ではなく、まだ南海「鉄道」だった時代でした。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #百貨店 #高島屋 #南海
マッチラベル 大阪/難波 戦前showa_express
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早く慣れませうメートル法
1921年の4月11日に改正「度量衡法」が公布され、メートル法への移行が決まったのだとか。 しかし、大反対が起きて結局完全移行したのは太平洋戦争が終わって少したった1951年。 でもなあ、付き合いのあった大工さんは平成の時代でも普通に尺という単位で測ってたんだよなあ。 相当なお歳の方だったので、自分のやり方を通してたんでしょうね。 ちゃんと家が建てば問題ないわけだし。 でマッチラベルですが、ナニゲに貴重な京城三越のもの。 デパートのマッチは配布個数が多いため現在でも多数現存してますが、さすがに外地系はなかなかお目にかかれません。 #マッチラベル #戦前 #百貨店 #三越
マッチラベル 外地/朝鮮半島 戦前showa_express
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百貨店「ほてい屋」のマッチラベル
四谷にあった百貨店「ほてい屋」のマッチラベル。創業は1877年とのこと。 その後、新宿に進出し1926年に現在の新宿三丁目交差点角の店舗が営業を開始したものの伊勢丹に買収され、それが現在の伊勢丹新宿店。 マッチラベルの左下が折れてるのがちょっと残念。 無理にのばすと破れてしまうのです。
マッチラベル 東京/四谷 戦前showa_express