BlogCats-27 権十君(ごんじゅう)くん

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この猫君は素描の素材というのではなく、当時、『うしちゃんの部屋』というブログのサイドバーにある画像では、まだ琥珀色の虹彩を保っている目が印象的な三毛君だった。
目の病がそうさせるのか内気で露出度が少なかったのは以前からだけれど、彼はそれから光を失ったらしい。
これを描いたころにはすでに彼は完全なウォール・アイで視力はもう回復の見込みはなかったようだ。

でも、自ら苦から逃れるために生きることを諦めるという選択肢をもつ『人』を除けば、
生き物はどんなに困難になったとしても生きることを止めない。
そのことを夢想だにしない。

それは逞しいとか雄々しいとかいうものとは異なる、もっと本能に根ざした生存への渇望である。
野性をその存在の根源に失わない猫は協調のもとにお互いの慰労と依存を理解する犬達とは異なり、
自分の存在を守るためにさらに用心深くなる。
人は、共存する飼い主達は、彼らの本能を補完する杖のように寄り添い、彼らの存在をことさら曝すことなく、見守る。

逃走距離は消え、猫は己の知覚する飼い主との距離を裡に取り込んで世界を広げ、そこに安息を得る。

放置するのではなく、不作為に徹するのでもなく、そういう信頼を野性から得た人は、間違いなく己が手で触れる前に既に心で触れることができる人である。

嗅覚と聴覚で全てを知覚することは猫だって困難なはずだけれど、用心深く、臆病に彼は飼い主が示し、自ら取
り込んだ信頼の距離のなかで体を丸くして眠る。

作画 2012年3月17日
         71.0MB tifファイル  480×443pix 320dpi

音楽はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番イ短調op.132から第3楽章。
こういう音楽の着想が現世にあるとはちと信じがたいのですが、安らかな慰撫とうつむいた顔を光に向けて上げさせる音楽です。

https://youtu.be/1HJt624BgdU?si=0NJzSD-Oyj59nDrH

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