Person-22-2 ベラ・バルトーク 真髄

初版 2024/10/15 18:32

改訂 2024/10/15 18:32

バルトーク/ピアノ協奏曲第2番SZ95


第1楽章:アレグロ
第2楽章:アダージオ~プレスト(スケルツォ)~アダージオ(コラール風)
第3楽章:アレグロ・モルト~プレスト

作曲者の真に伝えたいところは、作曲者が逝ってしまった後でははかりがたい。
でも、バルトークがそのピアノの打鍵において、打楽器的要素を常に念頭に置いた書法を展開してきたのは周知の事実。
彼の音楽、特にピアノがオーケストラの一部となるものから、オーケストラと対峙する形を取る協奏曲に転じた時、そこには爆発的な打鍵が繰り出す音量と等質のオーケストラの技量が求められ、そのいずれかに於いて、残念ながら第3番を除いて、ボクは満足できるものを見いだせなかった。

ポリーニが弾くまでは、である。
作曲者によればこの曲は難解、複雑、晦渋、凶暴を極めた第1番からかなりソフィスティケイトされたものに仕上がっているとのこと。『どの辺が?』と言いたいところだけれど、確かに断片的な旋律にしても、その凄まじい和音塊の炸裂にしても、僅かながらコントロールされた軽妙さがあると言えば、そうだね。と、いうしかない。
明快で旋律的であることは確かだろう。

しかし、そうは言っても、この曲は特にピアノ技法については超絶的であり、難なく弾けることでは足りないパワーと凄絶な濁らない強打が求められる。ブラームスを弾くようなプロレスラー並みの腕力。

古今のピアノ協奏曲の中でも、まず、これほどの難儀な曲は珍しい。


ラフマニノフの第3番のような抒情の中の悪魔的な技巧ではなく、技巧そのものが力=パワーに裏付けられることが求められる。

個人的な感想だが、今のポリーニにこの曲を弾ききるだけの技量が残っているとは思えない。
最近の彼の演奏は残念ながらかつての強さと光り輝くピアニズムを失ってしまった。その代わり得た世界観もまたあるのはたしかで、後期のシューベルトなんか素晴らしい。


でも、これは違う。この、アッバード指揮する機能的オーケストラとしては当代随一といっていいシカゴSO.をバックにしたポリーニのバルトークはこれがリリースされた時点で、彼がレコードデビューしたストラヴィンスキーの「ペトリューシュカのための三楽章」のような、これ以前の名演奏をいったん棚の上にしまってしまえるものだった。
とにかくこのアポロ的でドライで吹っ切れた爽快感は、音楽が与える類のものを超えている。
音響の愉悦である。


ポリーニというピアニストの絶頂がこれほどのパワーと正確さと理知的な凶暴性を持つものであり、なおかつ、その断片的な旋律の歌い方にイタリアの血の濃さを感じさせる演奏はかつても以後もなかったといっていい。
これは凄まじい演奏です。

凄まじいのにコントロールされているからこれは音楽たり得ているのです。
第1楽章は弦楽は使用されません
第2楽章は逆に金管楽器が封じられています。その断片的な抒情のもつ、音の伝える内省の美しさは絶品です。
圧巻は第3楽章の原始的とも言えるリズムの吹っ切れ方です。凄絶なカタルシスを味わうことになりますね。
ボクのバルトークは第3番に関してはやはり、フリッチャイとピアノのゲーザ・アンダのコンビですが、この第2番についてはポリーニの凄味が捨てがたい。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

Default