Person-22 ベラ・バルトーク バルトーク流新古典主義の黎明

初版 2024/10/15 18:15

改訂 2024/10/15 18:15

バルトーク/ピアノ協奏曲第1番Sz.83

第1楽章:アレグロ・モデラート-主部(アレグロ)
第2楽章:アンダンテ~アレグロ(アタッカ)
第3楽章:アレグロ・モルト

この演奏の登場はセンセーショナルだった。

ボクは評論家ではないので好き勝手なことをほざくけれど、好みの順番があってこの作曲家のピアノ協奏曲は第3番がシンプルで第2楽章の静謐な世界が凄く好きで、その次に第2番。第1番は3曲のうちでは一番集中力がいる。

この第1番が特に若い頃は取っつきにくかった。
でも今の耳で聞くと不思議なことに、様々な美しさと楽しみが溢れてくる。
『この曲を美しい!』と表現すると「何言ってやがる」とか言われそうだけど、打楽器としてのピアノの1音が始まる部分と音符の間に残響して消える時の色合いがこれほど様々に変化する作品だとは当時ボクは感じられなかった。

ブラスの乾いた響きにこれほどブリリアントなピアノが重なってなお、殺し合わない旋律線の鋼のような強靱さ。
作曲者自身のピアニストとしての技量がいかに凄まじかったのかを思わせる。


第1楽章の息もつけぬ勢いと、全てが完璧に鳴りきらなければならない打楽器としてのピアノの役割は協奏的でありつつ共奏的であり、なお狂走的である。その中に聴かれる冷徹な対位法。

第2楽章のアンダンテは吹奏される旋律がマーチのように波打ちうねりながら、ピアノはアンダンテではあるが沈潜の世界には入らない。野太いマーチを刻みながら推進し、次第に吹奏部が小さな楽器に移り始めるとピアノもそれに連れて静謐な一瞬を作るけれど、全体にこの楽章は他の、特に第3番の協奏曲の第2楽章に聴かれる内省の世界はなく、心に深く入り込む前の耳の奧辺りで常に出入りをくり返し、第3楽章の獰猛なアレグロを誘う。


初演はバルトーク自身のピアノで、指揮はフルトヴェングラーであったという。
現在、ボクは圧倒的な全盛期のポリーニと朋友クラウディオ・アッバードの指揮するCSOのCDでこの曲を聴く。
ザッハリッヒなアプローチとしては究極的な表現です。この頃のポリーニの打鍵の力強さと正確無比なピアニズムはただ、凄いと言う他はない。既に分析的アプローチは遙かに超えた段階でアグレッシヴで切れまくっている。
CSOの技術水準の高さと科学的な音響水準はこの曲に非常によく合っている。
その反応の凄さはアッバードの息が止まり、タクトが振られる瞬間に音楽として噴出している。この辺の雰囲気的な雑音を残せるのははCDならではです。
前にも書いたけれど、
ポリーニの技術的な全盛期は意外と短かったように思います。
この演奏はその短かった技術的全盛期の彼の頂点にあるものだと思います。


ただ唖然と聴く。ピアニッシモを聴くために、大音量にするとトウッティ(総奏部)で二階から奥さんが飛び出してくる。


古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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