Person10 -2 ヨアヒム・ラフ 『過程の場所から』

初版 2024/06/26 19:36

ヨアヒム・ラフ/ヴァイオリン協奏曲第2番OP.206

第1楽章 アレグロ
第2楽章 アダージオ
第3楽章 アレグロ

ヨーロッパ、特に故国であるスイス、そして彼が育ったドイツでの近年のラフの作品の再評価は、わが国ではまだ始まって25から30年くらいのところだと思うけれど、かの国々との扱いは最早確信を持ったかのような違いが生まれている。

彼の音楽から受ける「どこかで聴いた」風な印象は、このCDの展示場所での紹介でも触れたが、『結果の場所』である現代に生きているボクらの見誤りではないかと、遅まきながらようやく腑に落ちてきた。

『過程の場所』つまりクラシックまさにその時代の現代音楽であった世紀の後期ロマン派の始まりにあってロマン派と古典派の融合の上に確固とした音楽の骨格を築こうとしたが故に僕らが生きている『結果の場所』としての現代の見方では、折衷的でどっちつかずの音楽という評価を下されてきたのかも知れない。

彼の後に立つチャイコフスキーにしろ、リヒャルト・シュトラウスにしろ、グスタフ・マーラーにしろ、この忘れられた巨大なシンフォニストの影響をそこここに残している。

今ではそれぞれの作曲家に特徴的なフレージングが実は一人の忘れられた作曲家の音楽から派生してきているとしたら、ボクはその源を聴いてみなければならない。

このヴァイオリン協奏曲は、第1番と同じく、技巧的な趣が前面に出ていて、ボクとしてはあまり好みではない。

オーケストラと混然となりながらも、なおその楽器の特徴が頭ひとつ抜けて存在を輝かせるブラームスやベートーヴェン、シベリウスなどの作品と比べるとヴァイオリンが軽々しく技巧的だ。

しかし、そんな印象はシンフォニストとしての彼の才能、音楽を俯瞰する管弦楽法の巨匠としての才能をイヤというほど感じさせてくれる第2楽章でぶっ飛んでしまう。

中間部の管弦楽のドラマティックなトウッティ(総奏)は劇的であり、思わず体が動く。
彼の交響曲作家としての管弦楽法の一端が鈍く光っている。美しく、渋い。
この楽章だけは何度も繰り返して聴くだろうな。
この劇的なティンパニと弦のトレモロの中から浮かび上がる第2主題のヴァイオリンパートは出色です。ただ、惜しむらくはこの演奏は楽曲への共感の一点でベストにはなりえない。

しかしながら、この演奏を通じてもなお、ボクは交響曲作家としての才能を彼が生きていた『過程の時代』に於いて好き嫌いを別にして素直に認められなかったことを大いに恥じております。

第2楽章 アダージオ この楽章のヴァイオリンは弾く人を選ばない。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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