Person11-03ジョルジュ・エネスコ :天翔ける自我 

初版 2024/05/11 13:32

ジョルジュ・エネスク/チェロ・ソナタヘ短調op.26


第1楽章 アレグロ モルト モデラート
第2楽章 アレグレット スケルツァンド
第3楽章 モルト アンダンテ
第4楽章 プレスト



彼が生きていた時代は当たり前のように演奏者は多くの作曲を手がけ、自らそれを演奏した。
再現芸術家が解釈という過程で他人の作品に自分の個性を焼き付ける作業を行う少し前には自身が解釈者であった。と言うより、解釈なんぞする必要がなかった。
演奏の度、インスピレーションは異なり作品を拠りどころとした霊感は演奏の独自性にダイレクトに結びついていた。
エネスクは彼が生きた時代、ヴァイオリンに関してはティボー、クライスラーと並び称され、その弟子に至ってはメニューヒン、グリュミオー、フェラス、ギトリスら錚々たる個性を輩出し、ピアニストとしての才能は相当なものでありながら専ら自作の伴奏者として背後に佇むにとどまった。
そのピアノ・パートの素晴らしさと自ら弾くことはなかったであろうこのチェロのための作品にも自作に対する強烈な自我を聴くものに印象づける。


二つの楽器の協奏で開始される特徴的なリズムはベートーヴェンの3連符を想起させるが、後世の作品が全てその影響を作品に反映させることがむしろおかしなことで、一瞬よぎった考えはすぐに次のピアノの鳴りきった和音と付点を刻むチェロの深い抒情に打ち消される。葬送のリズムがヒロイックな葬送に変わる。

1898年この作品を仕上げた当時のエネスクは紛れもなく後期ロマン派の出口近くに両脚をしっかり踏ん張っている。
高音から舞い降りるチェロの旋律は彼のヴァイオリンの才能によって描かれ、とても詩的な香気を漂わせ、シンコペーションしながら遠景から近づくピアノの巧みな表現力を求めつつ、並列する。隙間を埋めるピアノも見事。


繰り返されるテーマは楽章が進むたびに不意に浮上しては全く異なる楽想から過ぎてきた部分を振り返らせる。
クライマックスに求められるピアノパートの決然とした響きと協奏的なチェロに求められる圧倒的な厚みとヴァイオリンのような閃き。
少なくても第1楽章に関してはチェロ・ソナタではなく、やはりチェロとピアノのためのソナタである。
第2楽章は明晰な構成を持つフーガの遊びがチェロに受け継がれ、ピアノに帰る。繋がれる歌はそこに旋律を生み、モダンで抒情的な歌に還る。軽快だけど踊れないスケルツォ。こんなステップは踏めない。


第3楽章はピアノの付点の上に葬送の調べが流れる。
抽象的だった抒情が厳粛性を帯びてゆっくりと棺を抱えて進むリズムで繰り返される。
不意に現れる第1楽章のテーマが積み重ねた音楽を一度明るい日射しの中に引き戻すが、チェロはさらに旋律を緩やかに歌いながらもやがてピアノをともなって昂ぶりながら劇的な展開へと駆け上がり、翼を羽ばたかせることなく重さに堪えかねて地上に舞い降りてゆく。
最終楽章はピアノが始動しながら遁走してゆく。例によって切り替えられる旋律はドイツ的な構築的なものではなくて、韻を踏んだほとんど感覚的なものだけれど、ここに顕れる音楽の波形はやはり第1楽章のテーマと有機的に繋がり、幻想曲風に回帰し、全楽章のピアノパートのエッセンスが形を変えて明滅する。
したたかな設計が感覚的であると思わず断じてしまいそうなほどさりげないマジックに溢れている。

シゲティが予言したほどではないけれど、結構いい演奏がたくさん出てき始めた、と言うより、日本にも届き始めたというべきかね。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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