歪な円

初版 2023/11/16 16:03

改訂 2023/11/16 16:03

ロベルト・シューマン/ピアノ三重奏曲第1番ニ短調op.63

《室内楽の年》に書かれた小品集4つの幻想曲集)を除いて、シューマンは、ピアノトリオを3曲残している。

すなわち、《室内楽の年》から5年経った1847年に相次いで作曲された第1番作品63、第2番作品80、さらに

にその4年後の第3番作品110の3曲。

この時期シューマンの音楽はこの作曲家特有の少し混乱したような旋律線の錯綜とブラームス以外に比べるもののないような濃厚なロマンティシズムが非常に高度なレベルで絡み合い、限りない夢幻的な世界を描く。
また、一方で古典的形式に対する思いも深まっており、形の定まらぬものの中に様式美を求める矛盾の中に入り込んでいる。
それは、彼を蝕みはじめた精神障害の症状が次第に顕著となり、音楽の中にもそれと疑われる兆候が影を落としはじめていることにも通じている。

爽やかに描かれた線が丸く、終点に向かって弧を描いてゆくけれど、描いている途中で生じた始点との軌道に大きなずれが生じている。
四分の一の円はそれぞれに素晴らしくロマンティックだけれど、何かが閉ざされていて時折見せる音層の重量が常人のイメージを超えている。
ちょっと複雑である。うっかり聴いていると凄くわかりやすく感じる。

楽章ごとに聴きながら進む。

1. Wit Energie und Leidenschaft 精力と情熱を以てと示された第一楽章は堂々とし、シューマンの到達した高みの一端を示してあまりある。
シンフォニックなまでに塗り重ねた楽想であるが、それは決してブラームスのように流れをとどめてまでもロマンティックであろうとはしていない。

風は曲の中を涼やかに通り、しかし、時に突然現れる壁に当たりはするが方向を変えて抜けてゆく。

そのピアノパートはまだ、クララのためか、決して派手に前に出ることはないけれど、ヴァイオリンとチェロの歌の線をしっとりと紡ぎ合わせてゆく。ロマンティックな熱が持続する。

2. 活き活きと、でも速すぎずに
(Lebhaft,doch nicht zu rasch)と示された第二楽章はスケルツォ。

意識よりも先に指が動いたような音楽。

ピアノの先の詰んだリズムに弦楽が絡む。浮き立つようであっても心は何故か躍らない。

でも、不可思議な均衡がある。

3. 
そして、第三楽章の緩やかに、感情を込めて(Langzam,mit inniger Empfindung)と示された緩徐楽章の沈んだ、しかし、ナイーブな歌が流れる。
最も複雑な感情の交錯の上を不安定な歌が何度も塗り重ねられる。

ピアノを従えたヴァイオリンの独白が痛々しくも切ない。

4. 『火のように』と指示がある第四楽章
そこに聴かれる歌は、最も美しく力強く第三楽章の暗さを振り切って進んでゆく推進力がある。
ボクはとても好きな楽章です。
ベートーヴェン的解決感が味わえるといえば言い過ぎでしょうか。
ともかくこの楽章にはたとえ歪でも円を閉じようとする迷いや晦渋さはない。
きっぱりとしていて鬱を振り切った本来のシューマンがいる。

この年、1847年彼は親友メンデルスゾーンを失う。

自らラインに身を投げる7年前である。

素晴らしい巨匠の集うトリオがある。ヴァイオリンがティボー、ピアノがコルトー。チェロがカザルス。モノラルのレンジが狭い中スクラッチノイズの中から立ち上がるシューマン。これはこれで凄かったけれど、ぼくはもう一時代新しい演奏を選んだ。

ルービンシュタインが室内楽をやる時の親密な音楽へのアプローチが、彼のソロを聴いているときより好きです。ヘンリク・シェリングの中庸のヴァイオリンにピエールフルニエの歌うチェロ、ややゆったりと歩いてゆく雰囲気のある演奏です。

古生物を中心に動物(想像上のもの)を含め、現代動物までを描くイラストレーターです。
露出度が少ない世界なので、自作の展示と趣味として行っている地元中心の石ころの展示を中心に始めようかと思っています。
海と川が身近にある生活なので気分転換の散歩コースには自然が豊富です。その分地震があれば根こそぎ持っていかれそうなので自分の作品だけは残そうかとAdobe stockを利用し、実益も図りつつ、引退後の生活を送っております。
追加ですが、
古いものつながりで、音楽についてもLabを交えてCD音源の部屋をつくっています。娘の聴いてるような音楽にも惹かれるものがありますが、ここではクラッシックから近代。現代音楽に散漫なコレクションを雑多に並べていきながら整理していこうかと思っております。走り出してから考える方なので、整理するのに一苦労です。

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