ミッシェル・ポルナレフ『愛と青春のトルバドゥール』

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【2024年1月6日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
1月は「新春フレンチ・カルナヴァル」華やかなフランスの音楽を紹介します。初回は、フランスのスーパースター、ミッシェル・ポルナレフの『愛と青春のトルバドゥール』です。

中世の吟遊詩人をルーツに持つシャンソンは、広く「歌」の意味だそうです。
それでは、“新春シャンソン・ショー”さっそくスタートしましょう。

エディット・ピアフやイヴ・モンタンにも曲を書いていた音楽家を父に持つミッシェル・ポルナレフは、1944年7月3日、両親が疎開していた南フランスの田舎町に生まれました。幼少期からピアノなどの英才教育を受け、パリの中学では合唱隊にも参加。初めてシャンソンを作ったのは13才、パリの国立音楽院でも優秀な成績を収めていました。コンサート・ピアニストとしての将来が期待されながらジャズやロックン・ロールに興味は移り、20才で兵役に就くと人生は大きく変化します。

退役後、職業を転々とするミッシェルは、親との亀裂が深まりギターを手に家出してしまいます。モンマルトルの丘にあるサクレール寺院の階段で歌いはじめると、自由と引き換えに空腹が彼を襲い、物乞いをして警察の世話になることもあったそうです。やがてはフランス中をさまよい歩き、カフェなどで歌って食事にありつけるような生活を続けます。フランスだけでは飽き足らず、ヨーロッパ中でボヘミアンをしながら曲を作りためていきました。

プレスリーやポール・アンカがアイドルだったミッシェルは、英語でデビューすることを考え渡英。しかし想像とのギャップに失望して再びパリへ戻りますが、その船で出会いがありました。ミッシェルの歌を気に入ってくれた人物の紹介で、パリでレコーディングが出来ることになり、1966年「ノンノン人形」でレコード・デビュー。これが大ヒットして、ヨーロッパはじめ日本でもリリースが決定。この年の秋には1stアルバム『愛と青春のトルバドゥール』を発表して、スターダムに上り詰めました。

68年にはあのレイモン・ルフェーブル・オーケストラが「バラ色の心」をカバーして全米で大ヒット。最初は若者が飛びついて爆発的な人気となったポルナレフも、次第に音楽の幅を広め、70年にはオランピア劇場でのリサイタルを行うほどのスーパースターとなりました。71年、日本で「シェリーに口づけ」が40万枚を超える大ヒットとなり、翌年初来日。73年に再びオランピア劇場で3週間に渡る公演を行った後、アメリカ・デビューを目指して渡米。

ロスエンジェルスに移ってからは映画音楽を手掛けるなど活動は続けますが、大きな成功を手にすることはありませんでした。80年代はシーンから遠ざかりますが、97年にライヴ・アルバムとニュー・シングルを発表。さらに2018年には28年ぶりとなるスタジオ・アルバムを、2023年には新ライヴ・アルバムをリリースしました。

ミッシェル・ポルナレフのアルバム『愛と青春のトルバドゥール』
SIDE A
「愛の願い」
「人生は星の流れ」
「愛の証しを」
「恋人に捧ぐバラッド」
「夜の鳥と一緒に」

SIDE B
「シェリーに口づけ」
「初めての愛」
「青春に捧ぐバラッド」
「僕の心にいつまでも」
「君との愛がすべて」
「ノン・ノン人形」

ミッシェル・ポルナレフのアルバム『愛と青春のトルバドゥール』いかがでしょうか?
ちなみに、ミッシェル・ポルナレフはフランスのレコードで初めて、卑猥とされるフォー・レター・ワーズを使ったため、それがセンセーショナルな話題となり、かえって彼の人気を爆発させたそうです。

https://www.polnaweb.com/
ミッシェル・ポルナレフオフィシャル・サイト

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